僕は「サステナビリティ委員長」になれたかな──ESG相談の創業史(夫馬賢治さん)

今、世界がサステナビリティやESGを中心に動き、日本でも大きな変化が起きています。そのなかで八面六臂の活躍を見せる夫馬さんに創業史を伺いました。

夫馬賢治さん
夫馬賢治さん

取材日:2021年10月22日


サステナビリティ・ESGの第一人者である夫馬賢治さん(株式会社ニューラルCEO)は、Webメディア Sustainable Japanを運営し、戦略・金融コンサルタントとして多くの企業を顧客にしています。

夫馬さんに「サステナビリティ・ESGとはなにか?」から、創業のきっかけ、日本でサステナビリティ・ESGが大きな話題になる以前のお話、そして子供時代の夢を伺いました。


サステナビリティ・ESGとはなにか?

──インタビュアー(木村):「サステナビリティ(サステナブル)」や「ESG」という言葉をひと言で説明するとなんでしょう?

夫馬賢治さん:ひと言では難しいですが、「メガトレンド」だと言っています。

もっと正確に言うと、サステナビリティやESG自体がメガトレンドなのではなく、気候変動を始めとする世界のメガトレンドに対応するために、サステナビリティやESGが重要になっています。


──今、世界で一番注目されている課題は気候変動でしょうか。

そうですね。

さらに、政治・経済・社会の領域にまたがるメガトレンドは多くあります。

たとえば、環境(ESGのE:Environment)で言うと、水不足や水質の衛生、大気汚染、生物多様性など。

社会(ESGのS:Social)ですと、人口動態は大きなテーマです。アジアやアフリカは人口がすごく増えています。逆に、ヨーロッパは減少傾向ですね。

単純に若い人口が増えれば、その地域に活気が生まれます。社会の構造としては、仕事の担い手が変わりますね。

たとえば、日本は人口減少を続けているので、50年前と比べて女性や障がい者の方も家の外で働く社会に変わっています。すると、ダイバーシティ(多様性)の重要性が増します。


創業のきっかけ

──ニューラル創業のきっかけを伺ってもよいですか。日本ではとても早い時期に Sustainable Japanのサイトを立ち上げられ、情報発信を始められました。いつからサステナビリティに注目されていましたか。

学部生の頃から「サステナビリティ」(持続可能性)という単語は知っていました。国際関係論を専攻していたので、リオ・サミット(1992)ですでにサステナビリティが打ち出されたという知識はありました。

しかし、当時、僕は「サステナブル・ディベロプメント(持続可能な開発/発展)」は、国連や開発支援の現場で使われる言葉だと思っていました。社会人になってからもそうでした。

ところが、2010年に、アメリカに留学した時、大企業のビジネスパーソンが「これからはサステナビリティが大事だ。そのために事業を創っていく必要がある」と言うのを聞いて、驚きました。

それから調べてみると、ヨーロッパはもっと早く、ビジネスや金融とサステナビリティが結びついていました。たとえば、企業のホームページにも重要なテーマとして書いてあります。ホームページも、日本語版には記載がなくても、英語版には書いてありました。

そこで初めてサステナビリティ・ESGの重要性を認識しました。これが創業のきっかけです。

* 夫馬さんの経歴
2004 東京大学卒業
2004-10 リクルート勤務
2010-12 サンダーバードグローバル経営大学院 MBA取得
2013 株式会社ニューラル創業
2014 Sustainable Japan ローンチ
2015 ハーバード大学大学院 サステナビリティ専攻(2019修了)


──留学の前まで、6年間リクルートに勤務されていますが、この時代の経験は今のお仕事に活きていますか。

すごく役に立っています。膨大なタスクの処理、時間管理や法人営業の経験は今につながっています。

また、リクルートで僕は4年半、転職エージェント事業の経営企画部にいました。経営企画という部署は、社内の多くの部署と関わるので、会社の意思決定の仕組みや、経営陣とのコミュニケーション、各部署との協議の肝などが自然と見えてくるんです。

サステナビリティに関する業務はいま、多くの企業が経営企画的な立ち位置で業務をおこなっています。なので、相手の立ち位置や悩みがものすごくリアルに想像できるんです。


──昔、自分がいた立場のひとを相手に、今コンサルティングをされているのですね。

そうです。当時、経験してきたことがそのまま応用できます。

たとえば事業計画の立て方、「社内にはどういう部署があり、この部署はこういう話し方をしないと動かない」といった事情や手順、役員会がどうやって運営されているのかなどを僕自身が内側から見てきました。

だから今、大きな企業のコンサルティングをする時も、相手の立場や感覚を推し量った助言がしやすいのです。


ニューラルのビジョン

──アメリカ留学(2010-12)から帰ってきた後に、ニューラルを創業され、Sustainable Japanのサイトを立ち上げられました。その時のお話を聞かせてください。

日本でもきっとサステナビリティが注目される時が来ると思い、創業しました。

その時のビジョンは、「日本で、とくにビジネスやファイナンスから見た時のサステナビリティのサイトとしては圧倒的なNo.1を目指す」でした。

このビジョンは今も変わりません。

とくに記事が専門性を持ち、さまざまなプロからも信頼されることを大切に考えています。

たとえば、プラスチックについての記事なら、技術者や化学メーカーのひとが読んでも意義があり、正確であるということ。ファイナンスなら金融業界のベテランのひとが読むことを想定します。


──夫馬さんが、ふだん「サステナビリティは総合格闘技」とおっしゃっているように、分野横断的ですね。

そうです。サステナビリティ、ESGのコンサルティングでは横断的な知識と思考が求められます。

僕はニューラル創業時まで文系の学問しかやってこなかったので、生物学、環境学、医学、公衆衛生学など理系についても学ぶため、ハーバードの大学院に行きました。教授陣も半分は理系で、ハーバードのサステナビリティ専攻は本当におすすめです。


──ところで、日本では2018,19年頃になってようやく、ビジネスや政治の世界でもサステナビリティ、サステナブルといった単語を聞くようになった印象があります。2013年の当時はいかがでしたか。

サステナビリティについてほとんどのひとが単語を聞いたこともない、という状況でした。

でも、重要なキーワードだから、僕はサイト名に「サステナブル」という言葉を使うことに決めました。

この命名については、創業前、親身になってくれる友人に言われたんですよ。

「サステナブルなんて日本では浸透しないし、カタカナでよくわからないから、やめた方がいい。たとえば、ひとにサイトを勧めようと思っても、その名前ではイメージをしてもらえない。変えた方がいいよ」と。

別の友人からは、「サステナビリティとか、舌噛むよ(笑)」と言われました。

僕は「絶対、サステナビリティの波が日本にも来るよ」と直感で会話していましたが、確実に来るかどうかは誰にもわかりませんでした。


とても早かった創業と Sustainable Japan(サステナブル・ジャパン)の立ち上げ

──ご自身の直感を信じて Sustainable Japanを立ち上げられたのですね。

賭けでしたね。僕自身も「向こう5年は、日本にサステナビリティの流れは来ないだろう」とハラをくくっていました。しかし、なにがあっても、なにも来なくても5年は続けようと決意しました。

2013年の7月に株式会社ニューラルを創業し、記事を書き溜めた後、サイトの公開は2014年2月です。

それで、サステナビリティのテーマで最初にクライアントができたのは、2015年の3月です。つまり、その間1年以上、サステナビリティでは食えていません。近くのスーパーで賞味期限の近いお弁当が安くなるのを待って買っていた時期もあります(笑)。

その時期は以前にいたリクルートから業務委託を受けたり、ほかにも副収入を得る手立てを作っていました。

ニューラルでは2018年から案件が増えました。本当に5年で流れが来たわけです。


──その5年間は、今のように政治家、官僚、企業人から注目される夫馬さんではなく、ひたすら積み重ねる時期だったのですね。

そうですね。

たとえば、2015年の12月に初めて講演をしたのですが、サステナビリティの重要性はほとんど伝わりませんでした。

2015年ですから、すでに国連ではSDGsが採択されており、パリ協定も採択されています。講演は、企業のCSR担当者が集まる場でしたが、私は「これからサステナビリティ・ESGの時代が来る」と話しました。

すると、日本企業のひとから「環境を気にする投資家なんて、今までに一人もいなかった。今後も日本ではありえない」と言われました。

僕は「海外では起きていることです」と答えましたが、たしかに日本ではずっとそのままということも考えられたので、今、サステナビリティ・ESGで仕事ができているのはラッキーです。

今は大企業のひとからも「夫馬さんは始めたのが早いよね」と言われ、それがブランドになっています。あの時、勇気を持って動いてよかった、と思います。


ニューラルの事業のサステナビリティ

──記事数も今では1万を超えていますね。すべて夫馬さんが書いているのですか。

最近は業務委託で書いてもらうものもありますが、結構自分でも書いています。また、記事の最終チェックはすべて僕がしています。今は1日に8本、掲載しています。

サイト公開から7年半の間、年末年始も含め、3日間を除いて毎日、記事を更新しました。その3日というのは、サーバトラブルにより、サイト更新が機能的に止まってしまったのです。ものすごく悔しかったですね。サイトが復活したときはほんとにうれしかったです。


──夫馬さんは風邪を引かれないのですか(笑)。

冗談ではなく、この会社で最大のリスクは自分の健康リスクだと思っています。創業後は、体調管理にはすごく気を遣っています。夜遅くまで仕事するのを控える、といったことも含め、自己管理を徹底しています。人間ドックにも毎年行っています。


──2019年の12月にはそれまで無料で公開していたサイトを有償化されました。

月額約1万円は、安い価格設定ではありませんが、それくらいのバリューはあると自負していました。読者のほとんどは企業の方です。

この値段は、これからサステナビリティ・ESGで仕事をするひとを邪魔しないように、という意味もあります。もし Sustainable Japanを無料で公開してしまったら、後に続くひとも有料にしにくいじゃないですか。

もう一つ、読者の方に「お金を払っても情報が必要なのだから、それを超える価値を生み出そう」と思っていただけたらうれしい、という気持ちがあります。価値が価値を生む好循環につながってほしいと願っています。


──なるほど、夫馬さんの健康管理はニューラルの事業の持続可能性なのですね。そして、月額課金は、この分野の持続可能性を考えてのこととも言えますね。

はい。


子供時代の思い出「アラファト議長の相談に乗りたい」

──いつ頃から、こういうお仕事をしたいと思っていたのでしょうか。

遡ると小学生の頃ですね。

僕は学級委員長などに推されることがありました。立候補とかはしないんで、だいたい最初は、クラスで推薦されてやることになるのですが、次の学期になる時、だんだん不安になるんですよ。次、推薦されなかったらどうしようと。

もし推薦されなかったら「ひょっとしておれ、嫌われちゃったのかな。なにか悪いことしたかな」とか考えたくなっちゃいます。なんで、毎回推薦されるかドキドキしてました。

今思うと、相談され、頼られることが好きだったんでしょう。

それから、やはり小学生の頃ですが、テレビでパレスチナ問題を特集していて、テレビで解説者が「非常に難しい問題です」って言ってたんですね。そのとき、ふと、思ったんです。当時パレスチナ側のトップだったアラファト議長が目の前に現れて「どうしたらおれたちの問題は解決できるか?」って相談されたら、なんて答えたらいいのかと。

「ああ、こういう複雑な問題にも、相談されたら答えられるようになりたいな」って真剣に思ってました。

小学生ですから、中東の歴史や問題の背景のことなんかは全然わかっていないんですよ。ただ、知らないことが多すぎるなって思いました。社会にはいろんな問題があるよな、宗教の問題も、経済の問題も、国際関係の問題もあるよな。でも僕は何も知らない。でも、真剣なアラファト議長にも応答できるようになれたらいいな、と思ったんです。それが原体験でしょうか。


──アラファト議長に相談されても、世界の「サステナビリティ委員長」ならば答えられる、というような(笑)。

そうそう(笑)。

アラファト議長はすでに亡くなられましたが、ここ数年では、小泉前環境相とはいろんな話をしました。「どうしたらいいと思いますか」といろいろ相談も受けました。

そういう意味では、小学校の頃の夢が実現しているんだなと最近、思い返しました。

もう一つ、私は「お金」を稼ぐということも大切に思ってきました。

1995年から98年まで高校生でしたが、バブルが崩壊した後で、日本はぼろぼろのタイミングです。リストラという言葉が踊り、自殺者も多い時期でした。そんななかで社会課題を考えられるのも大事だけれど、自分の生計も大事です。

「社会の課題を解決しながら、お金も稼げる」世の中であってほしいし、それなら、まず自分が体現しないと説得力もありません。僕が稼いで自立できていなければ、「相談に乗るよ」と言っても誰も来てくれないでしょう。社会的に価値の高い仕事と経済面の両立、それをライフワークにしたいと高校生の頃から考えていました。

だから、留学先でサステナビリティに出会った時、衝撃を受けて「この第一人者になろう」と思ったんですね。


──お話を伺っていると、思いはシンプルと言いますか、まっすぐな印象を受けます。

素朴なんですよ(笑)。


──夫馬さんは本を書かれ、国内外のメディアに記事を寄稿され、Jリーグの特任理事やウォーターエイドの理事に就任されるなど、活躍の場がどんどん広がっていますね。

依頼を受けると、できる範囲で応えています。今でも相談されると応えたくなりますね。


株式会社ニューラル
Sustainable Japan


取材/文:木村洋平
写真提供:株式会社ニューラル


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