今月のエシカル・カルチャー『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』

奉仕の精神、自己犠牲…これまで「すべき」と思われていた介護の常識をくつがえすケア方法「ユマニチュード」から、対人関係のエシカルなかたちを考えます。

今月のエシカル・カルチャーは、フランス発「ユマニチュード」の考案者イヴ・ジネストが、日本の大学で行った集中講義をわかりやすくまとめた本をご紹介します。

『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』イヴ・ジネスト著/本田美和子 訳(誠文堂新光社 2022年)


ユマニチュードとは?

「ユマニチュード(Humanitude:仏)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。フランスの介護専門家イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが、自分たちの体験をもとに考案したケアの方法です。

日本で最初にユマニチュードの講座が開かれたのは2012年です。いま、日本の病院や介護施設ではユマニチュードを取り入れているところもありますが、一般的にはまだそれほど知られていません。

「ユマニチュード」という言葉は、フランス語で「人間らしい」という意味を持つ造語です。ユマニチュードは認知機能が衰えた相手にも、ひとりの感情を持った人間として向き合いながら毎日のケアをするためのテクニックです。

あなたは認知症患者さんが嫌がって叫んだり、暴言を吐いたり、逃げたり、身体を緊張させたりして、ケアを拒絶する場面に立ち会ったり、テレビなどで目にしたことはないでしょうか。

ユマニチュードではこうした拒絶的態度を、認知能力が衰えた患者さんたちが、信頼できない人間に囲まれて精一杯自分の身を守るために行う防御反応だと考えます。それは「非言語のメッセージ」(言葉にならない声)なのです。

ユマニチュードでは、そんな患者さんたちに対して一般社会のように「マナーを守った態度」で接します。何よりも本人の尊厳を大切にします。

「尊厳」というと哲学的で難しく聞こえるかもしれませんが、要するに同じ人間として「自分が大切に扱われている」と、彼らが主観的に感じられることが尊厳です。ですから、ケアする立場の人間がいくら「こっちは大切にしてやってるのに、彼らは全然わかってくれない」ということなら、それは尊厳ある態度で接しているとはいえないのです。

たとえば、「身体を清潔にするのでベッドでじっとしていてください」や、「転ぶと危険なので、拘束します」というケアは、現状ではよく目にしますが、これは相手の尊厳は守られていると言えるでしょうか?

──守られていないと思います。

そうです。私たちがこれまで当然と思ってきたケアのあり方が、ケアを受ける人の尊厳を傷つけている可能性があるのです。

『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』p.61

相手が嫌がることはしないこと。相手が「NO」といえること。嘘をつかないこと。これらはケアの技術や手際の前に必要な、基本的なコンセプトといえます。

ではユマニチュードはどんな背景で生まれたのでしょうか?


介護の現実とユマニチュードの誕生

イヴはもともと体育学の教師でしたが、体育を活かして新しい世界にチャレンジしようと介護業界に飛び込みました。

しかし、そこで見たのは「どうせ何も反応がないから」と黙って処置したり、「嫌がって暴れるから」といって暴動を抑える警察官のように身体を拘束したり、羽交い絞めにしたり、「とにかく業務を早く済ませて次に引き継がなければ」と、まるで心のない「物」を扱うように事務的に入浴させる高齢者介護の厳しい現実でした。

ケアの担い手である彼らに優しさがないわけではありません。

いつのまにかやっていることに対し反応がないことに失望して、職務の遂行のみを考えるようになってしまったのです。そしてこうしたケアに認知症患者たちは、ますますかたくな態度で応えてしまう。

ケアする側と受け取る側のお互いが自分を守るために静かな戦いをしているようでした。

1979年、イヴは初めて訪れた介護施設で、ある認知症男性の介助を行うことになりました。ベッドで身体を拭いてもらった彼をイスに移動させるのです。

聞けばその男性は、いつも目を閉じていて反応しないといいます。その日も彼は目を閉じて、まるで外界を遮断しているようでした。そこでイヴは彼の正面に立ってこう語りかけました。

「申し訳ないですが、椅子に移っていただきたいので手伝ってくださいませんか」

すると男性は目を開けて、イヴに手を伸ばし椅子まで動こうとしてくれたのです。おかげで少しの労力で、男性を椅子まで移動させることができました。

これには看護師さんたちもビックリ。そもそも患者さんに協力をお願いするという発想すらなかったのです。ケアする側は立場が上(だからこそすべてやってあげなくてはいけない)で、ケアされる側は動けないのだから立場が下、という絶対的な思い込みがあったのです。

イヴは「ケアする側の愛が、正しく相手に伝わっていない」と考えました。

さきの男性は「移動してもらえますか?」と、ひとりの人間として声をかけてもらったことで、眠っていた能力を再び発揮しようとしたのですから。こうした経験を重ねながら、40年間で約3万人の認知症患者と向き合い、「ユマニチュード」はテクニックとして体系化されていったのです。

こうしたケアをしていくと、何と寝たきりだった患者さんが少しずつ座ったり歩いたりできるようになるといいます。

「認知症患者に丁寧なコミュニケーションなんて時間のムダじゃないか、ただでさえケアに時間がかかるのに。」最初はそう思う方もいるようです。

しかし実践してみると、互いが協力的になることでケアの内容が軽く済み、大幅な時間短縮になったという結果があります。さらに、ケアする側も気持ちに余裕を持って働けるようになったそうです。

「業務の遂行」から「会いにいく」へ

ユマニチュードのテクニックには、大切な「4つの柱」があります。それは「見る」「話す」「触れる」「立つこと」です。

ケアする側は、患者さんの様子を観察しながら、これら4つの要素を同時進行で組み合わせてケアを行います。言葉だけだとちょっと難しそうに感じられるでしょうか? いえ、けっして難しいものではありません。イヴはその流れを「物語」に例えています。

ユマニチュードではすべてのケアを、「出会い」から「別れ」までの一連の物語のような手順で実践していきます。私たちが誰かとよい関係を結んで楽しい時間を過ごすときに自然におこなっていることを、ケアの現場においても同様に行う、という考え方です。

『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』p.240

なんだか楽しくなってきませんか。まるで「日常の延長」のようです。ユマニチュードは日々の短いケアの時間から、少しずつ信頼関係を作っていくのです。

では「4本の柱」を使った流れを、少しだけシュミレーションしてみましょう。

出会いの準備

ドアをノックし、プライベートな空間への入室に気づいてもらう。(患者さんはノックの意味や音をゆっくり気づいてゆく場合もあるので、しばらく待ってみたりベッドボードをノックしてみたりして、知覚を目覚めさせます。)

ケアの準備

いきなりベッドの上から覗きこんだりしない。患者さんから見える位置から近づいて、アイコンタクト(見る)をする。いきなりケアの内容を切り出さず、まず「あなたに会いにきた」ことを伝える。(ここまで20秒~3分でよい。)よい関係が築けたと思えたら、ケアの内容を説明し同意を得る。(同意が得られなければ、あとで出直すなどする。)

知覚の連結(五感に穏やかなケアをする)

ケアを行う。この時「見る」「話す」「触れる」の3つを同時進行で行います。

笑顔で見つめる。(患者さんから発せられる言葉なきメッセージをキャッチする。)「右手を上げてもらえますか?」など、穏やかに話しかける。(ニュアンスは相手に伝わる。)優しく触れる。(指の先など「点」で触れず、手のひら「面」で触れる。腕や脚は5本の指でつかまずに、親指以外の4本の指で下から持ち上げる、などの各種テクニックがある。)

感情の固定

ケアが終わってもすぐに立ち去らず「お風呂に入ってきれいになりましたね」「協力してくださったので、とても助かりました」などの振り返りをします。こうすることで、後日、何をされたのかを具体的には思い出せなくても「(良い)感情記憶」は残ります。

再会の約束

再訪を告げる。「明日また来ますね」「次は〇〇時にお伺いします」などです。メモやカレンダーに書き込むと、自分がした約束だと思い出してくれる患者さんもいます。

こうしたことを患者さんの様子を見ながら同時に行ってゆくのです。

最終的には、寝たきりから卒業し、立って清拭を受けたり、椅子で過ごしてもらうこと(立つこと)を目指します。ですから②の「上から見下ろさない」というのも、ベッドの上から寝たきりになって下から見上げる「上下関係」は、ユマニチュードを実践していくと「そもそも起こり得ない」ということなります。


良好な関係を築く「道」は一歩ずつ

ユマニチュードとは、信頼関係を築いていく道程そのものです。一歩ずつゆっくりと。時には立ち止まったり戻ったり。それでも諦めずに歩き続ける(患者さんと関わり続ける)ことで、寝たきりだった患者さんが再び言葉を話したり、立つことだってできるようになる。

そう、ユマニチュードは奇跡でも魔法でもありません。「成熟したコミュニケーション」によって、ふたたび人間らしさを呼び戻し、かけがえのない本人たちの健康を取り戻すための「道」なのです。

何よりも重要なのが信頼関係です。
みなさんは、どんな人だったら相手を信頼できますか?

──嘘をつかない人…だと思います。

正解です。患者さんからの信頼を得るために大事なのは、「嘘をつかないこと」。
患者さんの前では、みなさんはいつも正直でなければいけません。
たとえば、「痛くありませんよ」と言われたのに、実際には痛かった場合、みなさんだったら相手を信頼できますか?

──できないと思います。

(中略)

みなさんが真摯に、愛と優しさをもって相手に接することで、相手は「あなたがそう言うなら、やってみよう」という気持ちになれるのです。そしてその気持ちが、ケアを受けとるご本人の健康回復につながります。

『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』p.96-97

日々の関わりの中にもユマニチュードを

最後に。日本人はとても礼儀正しいけれど、対等に心をオープンにした交流はあまり得意ではないようです。

「売り手と顧客」「親と子」「先輩と後輩」「上司と部下」「役務者と受益者」など、決められた役割でしか関わろうとしないところがあります。

しかしこれだけだと、コミュニケーションは「スタンドプレー」になるだけで、両者が心を通わせて何らかの着地点を見い出したり、満足することは少ないでしょう。

一方で、日本中の介護施設や行政施設に「ふれあい~」という名前が多いのは、やはり日本人も、心のどこかではユマニチュードのようなコミュニケーションを求めているようにも感じます。

ちなみイヴは、フランスの小児病棟でもユマニチュードを実践してきたそうです。目を合わせる、挨拶する、ケアに協力してもらうなどといったことは、大人同士だけでなくとも、親子関係や子育てにも、十分応用できるのではないでしょうか。

誰もが心地よく、大切にされ、自分らしくいるために──これは、いま目指すべき「持続可能なエシカルな対人関係」といえそうです。

日本の文化でユマニチュードを実践するのは、少し恥ずかしいかもしれません。慣れ親しんだ関わり方を変えるのは勇気のいることですが、少しずつでも心を開く練習をすることで、今いる場所がもっと穏やかでホッとできるところになると思います。

この一冊は、年齢や状況に関係なく、等しく尊厳を大切にするエシカル(倫理的)な人間関係を築く助けになるでしょう。


参考・引用:『ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストの集中講義』イヴ・ジネスト著/本田美和子 訳(誠文堂新光社 2022年)

文:越水玲衣


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