物語を読むための「カギ」を探しに、リアルな旅に出よう(書評家 渡辺祐真さん)

書評家の渡辺さんが物語の魅力を伝え続ける原点は、恩師の言葉でした。そして今、ひとや土地に出会う旅に出ようと考えています。

渡辺祐真さん

取材日:2022年9月10日

渡辺祐真(わたなべ すけざね)さんは、シナリオライターとして働くかたわら、書評を書き、本を紹介するYoutubeを運営されています。

文学系チャンネル【スケザネ図書館】

渡辺さんは大の本好きとして知られ、幅広いテーマで対談や執筆をしています。今年は『物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』という単著を出版しました。

そんな渡辺さんの「物語観」と、それを育んだ人生と今後の展望を伺いました。


読書とゲームで育まれた物語の読み方

──インタビュアー(木村):渡辺さんは、さまざまなお仕事を並行してこなされていますね。

渡辺祐真さん:普段は、東京のゲーム会社で、シナリオライターとして勤務しています。

そのかたわら、2021年から書評家、書評系YouTuberとして活動を始めました。
YouTube「スケザネ図書館」では、書評動画、ゲストの方との対談、書店探訪などをしています。

2022年7月には、笠間書院から『物語のカギ』という初めての著書を刊行しました。「物語をもっと楽しめるようになろう!」という思いで書いた本です。


──読書とゲームでは、物語の味わい方にちがいがありますか。

ゲームのシナリオでは、わかりやすい目的が設定されます。プレイヤーがゲームに入り込んで、遊びを体験できることがゲームの醍醐味です。

一方で、小説ではどんな物語も展開できます。読者が考える時間が大事だからです。わかりやすい必要はないし、短くまとまっていなくてもよいと思います。


物語を読むための「カギ」を発見する

──『物語のカギ』はどんな思いで書かれたのでしょうか。

物語は、「自由に読めばいいじゃないか」と思われがちです。

けれど、物語にはルールがあります。ちょうど、将棋を指すのに将棋のルールが必要であるのと似ています。対局するふたりが、将棋のルールをわかっているから将棋を楽しめるわけです。

物語も、書き手と読み手の間に、ルールを発見することで、より楽しめると思います。

たとえば、ある小説は「フェミニズム」のルールに従って書かれていると考えたり、または「フロイトの理論」を前提に無意識を読み解こうと考えたりすることで、より理解が深まります。

逆に、なんでも同じ理論を当てはめて読めばいいわけではありません。なにがよりよい理論になるかは、その時々で変わるでしょう。


──どうやってそれを判断するのでしょうか。

読み方のルールを見つけるためには、作者や、物語に触れるひとの背景や価値観が重要になります。

どんな性別やジェンダーなのか、外国人なのか、地方出身なのか都会育ちなのか、過去にどんな経験があったか、そういうことを考えていきます。

「どんな背景や価値観を想定すれば、この物語はより楽しめるだろうか?」

そう考えると、物語は奥行きを増します。

このように物語を読む時に使う「工夫」の数々が、私が「物語のカギ」と呼んでいるものです。


先生の言葉で、読書に目覚める

──渡辺さんが物語を仕事にされたことには、きっかけがあったのでしょうか。

実は、中3くらいまで本を一冊も読んだことがありませんでした。テニスとゲームばかりやっていました(笑)。

しかし、ゲーム仲間にたくさん本を読む友人がいて、彼の影響で本を読み始めました。

その後、私は大学受験で浪人をして、予備校に行きます。その時、出会った先生(予備校の講師)に決定的な影響を受けました。

そのひとは数学やラテン語、音楽にもくわしくて、活き活きと学問の魅力を話すひとでした。

学ぶことって本当に楽しいと、衝撃を受けました。「しびれた」という感じです。

浪人の一年間、私は読書にのめり込みました。

そして、12月か1月頃、最後の授業で先生が言った言葉が忘れられません。

「あなたたちはまだ子供だから、守られています。しかし、あと10年もすれば、あなたたちも助けたり、守ったりする側になります。その力をつけるためにきちんと勉強してください」

この時、私は「言葉で誰かを助けられるひとになろう」と思いました。

18歳の時に聞いた、この先生の言葉が私の原点です。


人生体験を積むこと

──これからの展望があれば、聞かせてください。

まず、「言葉や物語を、今まで受け取れなかったひとにも届けたい」です。

私自身が、人生で先生の言葉に出会えて、助けられました。私も、適切な言葉や物語に出会えなかったひとにそれらを届けたい。

今、30歳になりましたが、まだまだ不十分だと感じています。

そのために「たくさんの人生体験を積みたい」と思っています。自分で足を運び、ものを見たい。痛切にそう感じています。

『物語のカギ』で、私は「人生体験は必須ではないです」と書きました。自分が経験していないことも、物語を通して楽しめます。たとえば、不倫、殺人、SFなどを「経験しないと物語が読めない」わけではないはずです。

だから、「必要なのは人生観だ」と書きました。

たしかに、私は本を読むことで人生観を磨いてきたけれど、その一方で人生体験をないがしろにしてきたのではないか?と思うのです。

たとえば、松尾芭蕉の俳句でも、芭蕉が歩いた土地へ行って同じものを見ることは『おくのほそ道』を味わう糧になりますよね。

さまざまな土地の方言や風土、匂いを感じてみたい。それは「絶対に必要」なものではないけれど、物語を読むのに有効なものです。

自分の目で見て、聞いて、匂いをかいで、そのあとで物語へと抽象化するのはよいけれど、誰かの見てきたものを本を読んで、わかった気になるのは傲慢かなと考えています。

本で知ったことを話すのではなく、誰かの顔を見に行こう。そうやってひとを知ろうと今、心に決めています。


取材/文:木村洋平
写真:佐藤淳(合同会社 ONEBON)


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