今月のエシカル・カルチャーは、「ニューヨークタイムズ」誌のコラム欄に寄せられたエッセイをもとに作られた海外ドラマ『Modern Love』です。「愛」の持つ懐の深さと多様さ、そしてエシカルとのつながりを考えます。
環境や地球を大切にすると同じくらい目の前の人を大切にしていますか?
「愛」とは、あなたが思う以上にささやかだけど、豊かなものかもしれません。
いま話題となっているAmazon Primeのオリジナルドラマ『Modern Love』をご存じでしょうか。
現代ならではのさまざまな愛のカタチを、1話完結のオムニバス形式で描いたドラマです。
アメリカではシーズン2まで放送されていますが、先日、その日本版である『モダン・ラブ 東京』も制作され、注目が集まっています。
恋愛ドラマのどこがエシカル?
「エシカルはトレンドを追わない。むしろそこからの脱却だ」
そう考える人は少なくありません。
しかし中には、流行らせようとしなくとも、不思議と話題になっていくコンテンツがあります。
「先見の明」という言葉がありますが、これは社会が自然に求めるものを先んじて提唱しているものです。『Modern Love』もそのひとつといえそうです。
恋愛とは「relationship」(ドラマ字幕の翻訳より)、つまりひとつの「人間関係」であり、しかも2人の関係性がわかりやすく反映されるものです。
私たちは恋愛において、相手の気持ちを察したり理解しようとします。こうして「良い関係性」を育もうとすることは、エシカルの精神に通じるものがあります。
このドラマに描かれているさまざまな「Love」は、ドラマチックな恋愛のかけひきや、おしゃれなデートの仕方を指南するような刺激的なものではありません。
むしろ、その逆。
あまりに個人的で、地味で、日常的。幸せな時もあるけれど、間が悪すぎるシチュエーションやすれ違いだらけの時もあります。
それは「カッコ悪い恋愛」に見えるかもしれません。
しかしその正直な描き方が「Love」という人間関係の持つ普遍性を、私たちに考えさせてくれるのです。
夫婦関係も、サステナブルに⁈
ここで少しエピソードをご紹介しましょう。
まずは長い結婚生活で、お互いの短所しか見えなくなった一組の夫婦の物語です。
『夫婦という名のラリーゲーム』(シーズン1・第4話)
俳優として活躍している夫(デニス)と、それを家で支えてきた妻。
老年にさしかかり子供が大きくなった今、2人でいる意味がさっぱり見いだせない。何を話してもどこか噛み合わず、ついケンカになってしまう。
せっかく行った結婚カウンセラーの助言も、今の2人には響かず仕舞いだ。それでも1つだけ、カウンセラーのアドバイスに従うことにした。それは2人の共通の趣味だった「テニス」を再開すること。
しかし、久々のラリーは悲惨なものだった。お互いが「本気」を出して勝とうとするあまり、ラリーがつながらないのだ。
しかも勝気でせっかちな夫は、自分に都合のいい「新ルール」を次々と編み出す。
「2バウンドしたら減点1、ノーバウンドで打てば加点1だ」
『Modern Love』より
「イヤよ、普通がいい」
「デニステニスでいこう」
「私は普通のテニスがいいの」
「俺が負ける」
「もっとまともなサーブを打ってよ。せめて正しくやって」
「ルールがジャマだ」
「ルールを守るから楽しいの」
「相手に打つ強さを指示するのは違うだろ。どうだ、本気出せよ!」
夫の新ルールを次々に却下し、ひたすらルールに厳格にこだわる妻は、彼の「自由さ」をずっと恨めしく思ってきた。自分だけ相手に合わせている気になるからだ。
妻は怒ってテニスは早々にお開き。逆に、夫は妻が何にそんなに苛立っているのか全く理解できない。
夫のデニスは社交的な自由人だ。道で友人と出くわすと妻を差し置いて挨拶してしまう。家族で外食している時も、ファンだという女性が近づいてくると話に花を咲かせ、家族を待たせたまま会話に夢中になってしまう。
ある時妻は、ついに本音を打ち明けた。
ずっと一緒だろうと思ってた。
『Modern Love』より
でも今は、あなたといる時の私が嫌い。
あなたがヘマをするのを願う自分がいる。
なのに、あなたはすごく気楽そう!
この気持ちは嫉妬ではない。ずっと隣にいるにもかかわらず、存在を無視されてきた「寂しさ」だったのだ。
気持ちを素直に吐き出した妻に夫はハッとなった。なぜ妻が自分にいちいち反発してくるのか、その謎がやっと解けた。
妻が本当に欲しいものが、デニスにはやっとわかった気がした。
そう、お互い嫌い合っていたのではなかったのだ。
2年後——夫婦の関係は目に見えて変わっていた。
なんといってもテニスのラリーが続くのだ。
今や2人のテニスは「勝つ」ためにするのではない。
相手が打ちやすいようなボールを打つからだ。
それは2人が見出した、夫婦の「サステナブルなかたち」なのだ。
恋愛を占う?
ほかにも──
自宅マンションに長く勤めるドアマン・グズミン。
高齢にさしかかったこの男性は、マンションの住人である女性マギーの連れて来た男に妙に厳しい。
「あの男はあなたには合いません」
マギーにしてみれば、まるで見張られているよう。
けれど結局、マギーの恋愛はグズミンの予想通りになる。
「さすがだわ」
マギーは、生真面目なグズミンに堅苦しさを感じながらも、絶対的な信頼を寄せていた。
そして、ついにグズミンのお墨付きをもらう男性に出会うマギー。
果たしてグズミンは、何を基準にマギーの恋愛を占っていたのだろうか?
ラストにその理由が明かされる『私の特別なドアマン(シーズン1・第1話)』
アナログな恋愛
Covid-19の影がひたひたと忍び寄ってきた、2020年3月のアイルランド。
たまたま長距離列車のボックス席に乗り合わせた男女が話に花を咲かせていた。
感性や興味はまるで正反対。けれど、どこかロマンチストで「現代のデバイスに頼りすぎることへの疑問」という価値観だけは共通だった。
そんな”ちょっと変わり者の”2人は、たちまち惹かれ合った。
そして「2週間後に駅のホームで落ち合おう」と、これまたアナログな再会を約束する。
けれど、時はついにロックダウンに突入。
SNSやフェイスブック、インスタグラムはおろか、電話番号すら交換しなかった2人。
文明の利器に頼らず、彼らは無事に再会を果たすことができる?『ダブリンの見知らぬ乗客(シーズン2・第3話)』
時代がもとめる「Love」のかたち
『Modern Love』を観たところで、アレを買わなきゃ!コレをしなきゃ!流行に乗り遅れる!……そんなことを思うことはないでしょう。でもそれこそが『Modern Love』が支持される理由です。「時代のニーズを無意識に反映している」のです。
私たちはすでに、ルールや流行に縛られた恋愛観から自由になりたい、その時の自分に合った関係性を築きたいと、思い始めているのかもしれません。
それは、ジェンダーやLGBTQなどのセクシュアリティに基づくものだけではありません。家族や親子、友人関係、ご近所さん、偶然となり合わせた同士まで。
これは「Love」と呼べるのか? そんな名前もつけられない不思議な関係もたくさんあります。あえて言うなら「思いやり」「見守り」「友愛」「隣人愛」とか。
「そっとしておくこと」だって愛のかたちかもしれません。
そして、そのどれもが「誰かが誰かを想って」いることに間違いないのです。『Modern Love』は、こうしたスタンスで人間関係をあたたかくも繊細なタッチで描いています。
エシカルの出発点も「愛」から
「誰か」や「何か」を大切にしたいという感情は、エシカルの出発点でもあります。
地球への愛、動物愛護、自分の住む地域がいつまでも美しい場所であることを願っての行動です。
エシカルに向かう動機は憎しみではなく、つねに愛でなければ「エシカル」とはいえないでしょう。「エシカル」は、お互いを尊重しリスペクトすること、長いスパンで育むこと、自分にふさわしいものを求めること。
環境や自然を大切にするように、私たちはまず目の前の人に、こうした視点を持ちたいものです。あなただけの愛、あなたができるエシカルのカタチ。このドラマを通して、そんなことを少しだけ考えてみていただけたらと思います。
この秋『Modern Love』を1話ずつ観てからゆったりと眠りに就く、そんな夜の過ごし方をしてみてはいかがでしょうか。
穏やかでありながら、何か元気になっている――そんな気持ちのいい朝が迎えられるかもしれません。
『Modern Love』(シーズン1・2)および『モダン・ラブ 東京』は、Amazon Prime Videoで視聴できます。
写真/文:越水玲衣
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