多様性を尊ぶ企業文化が会社と人を育てる(株式会社ニューロマジック 木村隆二さん 永井菜月さん)

柔軟さと多様性を大事にする企業文化が、人を惹きつけて息が長い経営を可能にします。

多様性を尊ぶ企業文化が会社と人を育てる株式会社ニューロマジック 木村隆二さん 永井菜月さん
永井菜月さん左と木村隆二さん右

取材日:2022年8月1日


Web制作からサービスデザインまで手がける株式会社ニューロマジックは、ゆるやかで社員の自主性を尊重する企業文化を持っています。創業から29年目を迎えました。

現在はフルリモートの体制。女性の社員は60%を超え、女性管理職の比率も68%と高い数字です。

今の時代に柔軟に応じる働き方を実現するヒントを取締役COOと社員に伺いました。(以下、敬称略)

■木村隆二(きむら りゅうじ)取締役COO

早稲田大学商学部卒業。2005年入社。2009年よりセールスやプロジェクト管理全般の執行役員を務める傍ら、多業種に渡るクライアントワークを担当。2016年より現職。2017年サービスデザイングループ立ち上げとアムステルダムオフィスの設立に関わる。海外事業も担当する。

■永井菜月(ながい なつき)「サービスデザイングループ」 シニアサービスデザイナー

上智大学院グローバルスタディーズ研究科卒業。2018年入社。 サービスデザイナーとして、ユーザーインタビューなどの企画・実施から、調査結果を基にしたサービスの体験設計やブランドデザインを担当。 特にワークショップを用いた共創を得意とし、toC/toB 問わず幅広い事業領域で伴走する。


──インタビュアー(木村洋平):今のお仕事やご活動はどのような内容ですか。

木村隆二:COO(Chief Operating Officer:最高執行責任者)として営業の全責任を担って十数年、経ちます。営業のほかプランニングやディレクションも現場に立ちますので、お客様への責任もあります。

さらに、サービスデザイングループとアムステルダムのオフィスは立ち上げ以来、執行領域として管掌しています。


──サービスデザインとは、どういうお仕事でしょうか。

木村:クライアント企業が顧客に提供する体験(サービス)をデザインするお手伝い、またそれを継続的に提供できる組織や仕組みづくりのサポートを行っています。

弊社ではサービスデザイン以外にも、ブランドデザイン、コミュニケーションデザイン、ビジネスデザインなど様々な課題解決のために「広義の意味でのデザイン」をクライアント企業に伴走しながら提供しています。

永井菜月:学生インターンとして、ニューロマジックに入社しました。インタビューやワークショップの手法で、共創パートナーやクライアントに向けたサービスデザインをずっと担当しています。

またニューロマジックの新しい世代として、社内ルールの見直しなどもしています。


──ニューロマジックでの仕事と並行して、木村隆二さんはドラマーとしても活躍されており、永井菜月さんはフリーの翻訳のお仕事も手がけていると伺っています。

木村:高校一年生の時からドラムをやっています。大学時代はプロを目指していましたが、20代半ばでその道は断念しました。「生業にしなきゃ」という焦りや呪縛を解かれてからの方が、音楽にフラットに向き合えています。

今、バンドを3つかけもちしています(笑)。

音楽活動では「守るべきクオリティはどこまでか」という境界線や深さを見極めるように、いつも気をつけています。

そういう勘、「プロが到達すべきレベルのものさし」のようなものは、音楽とは異なるデザインの仕事にも活きていると思います。

永井:2020年、ニューヨークに旅行した時、アートブックフェアで出会ったアートブックが魅力的で、翻訳したくなりました。

それで、(上司の)木村隆二さんに「週一日は翻訳に当てたい。週4日勤務にしてくれませんか」とメッセージを送りました(笑)。そういう社内制度があったわけではないんです。

木村さんはご飯を食べながら私のメッセージを見たらしく、「いいですよ。また連絡しますね」という感じで、すぐに了承してくれました。

私にとって翻訳は初の試みでしたが、こういう企業文化に助けられて、アートブックの日本語版が完成しました。

木村:「その都度、働く社員の人生に寄り添う意思決定をしていく」ということを意識しています。

永井さんの件は、「ニューロマジックのプロジェクトとしてやってもいいですよ。社内のデザイナーの力を借りてもよいかもしれません」と返事をしました。

しかし、結局、永井さんは個人でやることに決まりました。「会社とは切り分けて自分のプロジェクトとして挑戦したい」という意向でしたから。

永井:今回の翻訳にかぎらず、上長に多様性を認めようという姿勢が強く、信じてゆだねてもらえると、ベストを尽くそうと思えます。


──今のお仕事につながる子供の頃のエピソードなど、あれば伺えますか。


永井:小中高を過ごした和光学園では、「あなたは、なにがしたいの?」「どう思う?」とよく聞かれました。その答えを否定されない教育を受けてきました。

両親もそういう接し方でした。

ですから、今も自分の意見が基盤にあって働く、という姿勢があります。

中学時代に「パレスチナ問題についてどう思う?」というテーマを考える授業がありました。これも決まった答えはありません。

答えのない「なぜ」にじっくり向き合い、考える態度は子供時代に培われたと思います。

木村:私は子供の頃から、リーダーとしてまとめる立場にいることが多かったです。野球のキャプテン、学級委員長、学祭実行委員長、バイトやバンドのリーダーなど。

それから、諦めず、貪欲に追求するところがありました。言い方を変えると、頑固で欲張りというか。

昔、祖母の家にいったとき、せんべいをくわえながら、両手に持っていたことがあって、「あんたは欲張りねぇ」と親に言われたことを今でも覚えています(笑)。

リーダーとして人をまとめること、諦めずに貪欲に物事を追求する性格は、今の仕事にも役立てられている気がして嬉しいです。三つ子の魂百まで、なんですかね。


──会社にかかわりのある、印象的なエピソードはありますか。


木村:私は25歳で音楽活動を辞めて、半年後にニューロマジックに入社しています。

もともと音楽か広告業界だと考えていたので、この時に切り替えました。

入社の翌年、2006年の夏に社長に呼ばれ、「営業をやらないか」と提案されました。過去にも営業部立ち上げにチャレンジしたことがあったらしいのですが、どれも上手くいかず、僕に白羽の矢が立ったようでした。

それから、営業チームの立ち上げに専念します。社長からは「木村にまかせた」と一任され、採用にも関わりました。

リーマンショックや東日本大震災で売上が落ち込んだ時は、社長とふたりで財務についても話し合い、走り回りました。

そういう新規事業の創設に近い役回りが、今思うとCOOを務める土台の経験になったと思います。


永井:私は長く学生をやっていました。上智大学の修士過程で、文化人類学を専攻してアメリカのイスラームコミュニティを研究テーマとし、アメリカの地方にも足を運んでいました。

修士は3年で出ようと考え、2018年の4月にはニューロマジックに入社する予定でした。しかし、卒業間近になって、実家の事情などもあり、論文を書くのに「もう半年ほしい」と思いました。

他社の内定はなかったので、ここで新卒として採ってもらえなかったらバイトをするしかないと考え、追い込まれた気持ちでいました。

そこで、思い切って木村さんに「半年、入社を待ってもらえませんか」と相談しました。そうしたら、「もちろん、いいよ!」と二つ返事で了承してもらえました。

当時、私は家庭内で揉め事があったり、大学院で先生とうまくいかないなど「大人が信じられない」「社会は怖い」という不信感が募っていたので、木村さんの答えに救われました。

そういうリーダーに私もなろうと思いましたね。


──今後の展望について伺えますか。


木村:今、弊社は29期目です。醸成された社長の思い、会社の経営方針や未来像が、社員みんなに伝播しているのを感じられてしあわせです。

「エクスペリエンス・エージェンシー」(体験の提供者)というスローガンも定まり、名実ともにそれを体現できるように日々活動しています。

「世の中に起きる体験をよくしていこう」

「今は機能過多の時代。人の心を動かす体験のデザインが必要だ」

「そのためにも、自分たちのコンディションを最善にしていこう」

「都市のように多様な人がいる環境で、いくつかのルールには従いながらも、自律的に人が集い、動いていく。そこに、価値観をゆるく共有している共同体を作る」

「そうした共同体が社会に対して熱伝導のように良い影響を生み出していけるようになろう」

そんな未来像を描きながら、まずはしっかりと身近な人達をしあわせにしていける組織でありたいですね。

また、2021年からはアムステルダムオフィス、東京オフィス横断でSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション:持続可能なあり方への移行)の事業にも取り組み始めていまして、クライアント企業のSX活動のコンサルティングやサポートを行っています。

永井:誰かの生き方を肯定できるマネジメントを心がけています。それを体現するリーダーでありたいです。

まだまだ日本では生きづらい人が多く、とくに女性が生きづらい現状を変えようと実は新規事業を検討していたりもします(笑)。

今まで弊社で育ててもらって得られた視座を、ポジティブに社会へ伝えていきたいです。


取材/文:木村洋平
写真:佐藤淳(合同会社 ONEBON)


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