医療的に安定した障害者が地域へ出ていくことの大切さ(山田優さん)

肢体不自由の当事者である山田さんは、「時間と環境が整えば、健常者と障害者の間の壁は取り払える」と考え、みずから地域に出て生活しています。その信念の背景には、ALSとともに生きた先人の勇姿がありました。

山田さんとは千葉県金谷のコワーキングスペース「まるも」で知り合いました。山田さんは車椅子に乗っており、発音には少し聞き取りづらいところがあります。しかし、山田さん側の聞き取りには問題がなく、今回はパソコンも併用して取材をしました。


──インタビュアー(木村):山田さんは障害者の生活とそれをめぐる社会制度について著書を出しておられますね。

山田優さん:はい。難病や障害を持つ当事者の意識と、社会制度について問題提起をしました。誰にでも当てはまるとは言えませんが、「難病や障害を持つひとも、適切な環境を整え、きちんと時間をかければ、健常者と変わらずにコミュニケーションすることができる。また、日常生活を送ることもできる。」これが僕の信念です。

そのためには、難病や障害を持つひとにも、指導・教育されることへの忍耐強さは必要であると思います。それを通して、体力をつけながら新しい生活に慣れていくことができます。リハビリにも似ています。それを最初から「病気や障害がかわいそうだから」という理由でさせないとすれば、それは問題だと思うのです。

* 山田さんの著書:『答えがないことが、答え』山田なっちゅう優、幻冬舎、2019


──ご著書では主にALSについて扱っていますが、山田さん自身はALSではないのですね。

そうです。私が敬愛する松本茂さんがALS患者でした。松本さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患っており、体を動かすことが極度に制限されていました。

しかし、施設ではなく、自宅で暮らし、特殊なパソコンを使って、著書の執筆、農業の経営、大学の講義などを精力的におこなっていました。

* ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、全身の筋肉を動かしづらくなっていく障害。その背景には、脳からの司令を伝える神経の機能不全がある。人工呼吸器を使う、文字盤やPCを使って意思疎通をするといった生活スタイルの変化を伴うことが多い。

私は、1歳の時に風呂で溺れて、両下肢の機能全般と、両上肢機能に軽度の障害を負っています。医学的には「溺水後遺症」とされます。


──山田さんは、どこで松本さんと知り合われたのですか。

10歳の時、松本さんが著書の出版をきっかけに、私の住んでいる千葉県まで来たことがあり、そこで知遇を得ました。

松本さんは僕に深い親近感を抱いてくれて、それ以来、交流が続きました。松本さんからいただいた手紙は、すべてひらがなで書かれていて、それを僕の方で「解読」して読み、返事を書いていました。

ちなみに、ひらがなでやりとりをする経験は、大学時代に海外の方と交流した時、思いがけずまた役に立ちました。


──松本さんは山田さんを気にかけ、優しく接してくれたのですね。

松本さんは優しいひとでした。が、同時に厳しいひとでもありました。

松本さんは、難病や障害についての話より以前に、人間としての生き方を伝えてくれました。「ひとを大事にしろ」「ひとに優しくしろ」といった言葉は印象に残っています。

年も離れていたので、まるで孫に接してくれているようでした。


──松本さんのご活動についてもっとくわしく伺えますか。

松本さんは、おおよそ1990〜2010年の長きに渡って、日本ではあまり知られていなかったALSとはなにかを伝える活動をしていました。全国を回り、講演や執筆をしました。そして、2007年には朝日社会福祉賞を受賞しています。

世界的に有名な人物では、ルー・ゲーリッグ、ホーキング博士、毛沢東といったひとがALSに罹患しています。しかし、日本での周知は遅れていました。

松本さんは1986年から療養生活を始めており、僕が会った時は寝たきりで、人工呼吸器を生命維持の装置として常につけていました。そのように全身が動かないのにもかかわらず、文字盤と特殊なパソコンを使って意思を他者に伝えて生活していました。

* ここでいう特殊なパソコンは「伝の心」という名前の製品で、今でいう視線入力を可能にする機器。

しかし、逆境に負けることなく、奥さんをはじめとした周りの人の力を得ながら、全国を周って同病を患っているひとや別の病気を持つひと、また一般の学生さんたちにALSのことや自身の日常生活について教えて回っていました。

たとえば、病気が初期の頃には、筋肉が固まらないように、奥さんの手を借りながら屈伸運動をしていました。また、体が思うように動かなくなってからもベッドの上でひとの手を借りて膝の曲げ伸ばしなどをおこなっていました。


──そうした松本さんの生活や活躍を身近で見て、感じるうちに、冒頭の山田さんのお考えも形作られたのですね。

そうです。「時間と環境が整えば、健常者と障害者は関係ない」と僕はよく言っています。

たとえば松本さんのように人工呼吸器が必要であっても、医療的に安定しているひとは、どんどん地域に出ていけるとよい、といつも考えています。

車椅子で人工呼吸器をつけている姿であれ、僕のように肢体不自由で車椅子に乗りながら、コワーキングスペースで仕事をしているひとであれ、地域のなかで障害や重い病気を持つひとがともに生活できるということはとても大切だと思っています。

はじめに出ていく時には、家族や専門家(福祉士、介護士、看護師、医師など)の付き添いがいると思います。

その後、地域のひとに必要な配慮やケアをお願いできる時がくる可能性はあります。これが「時間と環境を整える」ということです。なにもかもいきなりやるのでは、地域のひとも障害者側も戸惑って、おかしな事態になるかもしれません。そこは丁寧に手順を踏んだ方がよいでしょう。


──なにより山田さん自身が、その信念を実践して生活しているのですね。

僕自身は小中高と一般学級で過ごしました。養護学校や特殊学級ではありませんでした。はじめは母親に学校に入ってもらい、小学校ではトイレ介助や給食の時に来てもらいました。

中学校の時からはトイレや給食の時間も、親の介助はなかったと思います。小中学校は同じ町内だったので、長く様子を見て知っていた友人たちはある程度、僕との生活に慣れていたと今では思いますね。

僕が一人ではできないことは、周りのひとに助けられました。また精神的なこと、社会生活のことで健常者から学ぶことは多かったです。迷惑をかけて気づくこともあります。


──そういう周りとの「切磋琢磨」のなかで、今の山田さんの力強い生き方が育まれたのですね。

周囲のひとや友人たちには、お世話になりました。

しかし、小学校の頃から健常者と同じ教育を受け、同じ環境に身を置いてきたからこそ、「難病当事者や障害者が地域に出て生活する」ことの重みと大切さを知ることができたとも思っています。

生活のなかでお互いを理解し、壁を取り払ったコミュニケーションをしていくこと、ともに生活することの意味を、これからも伝え続けていきたいと思います。


取材/写真/文:木村洋平


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