学問する市民が自分の生き方を変える

「学問は学者がやっていればいい、と思われてはいけない」と話す、学問する一市民のUさん。「学問すること」が人生をどのように変えたのかに注目してお話を伺いました。

Uさんの足元
インタビューに応じてくれたUさん


Uさん(男性、30代前半)は学問する一市民です。20代の半ば頃、Uさんは人文社会系の研究で修士号を取得します。

その後、フリーターをしつつ就職を目指すものの、うつ病を発症し、現在は療養中です。学生身分ではありませんが、近所にある出身大学に通っています。

今回のインタビューでは、「学問すること」がUさんの人生をどのように変えたのかに注目してお話を伺いました。


──木村(インタビュアー):いま、一番つらいことはなんでしょう。

Uさん:一日ひとつ、掃除や片付け、長距離を歩くなどの目標を立てるが続かない。いまの体力、精神力ではできない。疲れてしまう。コンビニに行くだけでも横になってしまう時もある。

なにより、本を読めないのはつらい。集中力が続かない。横になると、ゲーム実況動画を流したり、ショパンやロドリーゴを聴いたりします。ロドリーゴは盲目でしたね。


──出身大学に通い、学生とかかわっていてなにか感じることがありますか。

自分にも居場所があり、かかわるひとがいることは助かる。

ただ一方で、親しい学生が卒業していき、彼らが社会人になっていくのを見送ると、「自分がこれから彼らと同じようにできるのか」と考えてしまう。不安ですね。

自分が培った経験を社会に還元できないか、といつも考える。


──どんなテーマに関心をもってきましたか。

これまで人文学の意義と実学、学生時代の学びのあり方、大学とはどういう場所か、ということを考えてきました。


──学生という身分のよさはなんでしょう。

サークル、学問、生活等について、相談したり、討論したりできること。あとは組織運営や、行事の実行委員もできます。

そうですね、討論する相手が多くいるのはよいと思います。私もゼミに出ていますが、学ぶことは多いですよ。学生という身分があるからこそ経験できることもある。

たとえば、図書館で学内のサービスを利用して新聞や論文を検索できる。


──大学のあるべき姿、ということについてはどうですか。

市民が休日に研究や調べ物をするとして、大学はそれに適した場所でしょう。

市民にサービスが開かれた大学で、開かれた学問ができるといい。そういう地域には、よりよい大学の姿があるかもしれません。

そもそも、社会を動かすのは専門家でなく市民でしょう。私もゼミに出ていて思いますが、市民も学問をして社会に還元できるといいですね。これは研究者として在野で大成しよう、という話ではない。

たとえば南方熊楠のような知の巨人でなくてよいのです。もともと市民の学問にはいろいろなタイプがあります。

たとえ社会に還元しなくても、ただ生涯学習をする、というのでも意義はあるでしょう。または、単に文学が好きで、いろいろ読むうちに発想の仕方が変わるというのでもよいですね。