今月のエシカルカルチャー ウィリアム・モリスの言葉たち──芸術と生活が結びついて生まれるライフスタイル

テキスタイルのデザインなどで知られるウィリアム・モリスの考える「豊かな暮らし」そして「エシカルスタイル」とは? モリスの珠玉の言葉たちをご紹介します。

ウィリアムモリス著 素朴で平等な社会のために表紙

19世紀に活躍したイギリスのデザイナー・思想家、ウィリアム・モリスをご存じですか?

ウィリアム・モリスはテキスタイルをはじめ、多くのデザインを生み出しました。

彼の名前を知らなくても、デザインした植物や動物モチーフを見れば「この柄ね!」と思われる方も、少なくないと思います。日本では特に、鳥が野苺をついばむ姿がモチーフの「いちご泥棒」の作者として知られているのではないでしょうか。

著書『素朴で平等な社会のために ウイリアム・モリスが語る労働、芸術、社会、自然』は、デザイナーとしてのウィリアム・モリスだけでなく、ウィリアム・モリスが考える「豊かな暮らし」を知ることのできる一冊です。

エシカルカルチャーの第3回目は、モリスのエシカルな社会のあり方について述べた言葉をご紹介します。


生活に芸術を──アーツ・アンド・クラフツ運動

さて、モリスは一般的には工芸デザイナーとして知られていますが、詩や小説も手がける作家であり、会社を経営する実業家でもありました。そして彼には、環境や労働問題を考える「社会活動家」としての面もあります。

多彩な才能を発揮してさまざまな分野で成功を収めたモリスですが、彼には目ざす社会像がありました。それは、芸術を生活に取りこめる社会の実現です。

そうした社会に向かう活動は、「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれます。それは大量生産された生活用品に対抗して、手仕事の良さを広める活動でした。

実際、彼はファブリック・壁紙・調度品などを、それぞれのプロが丁寧に作り上げるという芸術的工芸集団として事業を始め、成功させています。

そんなモリスの原点は、幼いころから親しんできた動物や、大学時代を過ごしたオックスフォードの古い街並み、家を構えたコッツウォルズの緑ゆたかな風景でした。

自然や伝統に触れてきた生い立ちが、アーツ・アンド・クラフツ運動につながってゆくのです。

ナナカマドの実

本に書かれているモリスの言葉を少し紹介しましょう。

最初にお願いしたいのは、芸術という言葉の意味を、意識的な芸術作品、つまり絵画・彫刻や建築だけでなく、すべての日常生活用品の色や形にまで広げてもらいたいということだ。いや、それどころか、耕作地や牧草地の配置や、都市計画、あらゆる種類の道路管理にまで。 ( p.98)

装飾芸術には二つの働きがある。一つは、暮らしのために使わざるを得ない物を、使うのが楽しくなる物にすることだ。また、もう一つの役割は、作らざるを得ない物を楽しく作れるようにすることだ。 (p.18)

『素朴で平等な社会のために ウイリアム・モリスが語る労働、芸術、社会、自然』以下同様


ここで言うモリスの「芸術」とは、至高の精神状態を求めたり、非日常を作り出したりする高尚な作品のことではありません。

街や住む家、生活用品など、私たちが日ごろ目にするものや共有するものを、美観を持って作ったり、丁寧に手入れをしながら使ったりすること──つまり生活自体を「芸術的な姿勢を持って楽しむ」ことだといえます。

美しい自然をモチーフにしたファブリックには、そんな彼の想いと願いが込められているのです。

オクスフォード街イングランド


モリスの労働観と未来予想図は、現代にも通じるもの

モリスは、そもそも社会システムを、誰もが生活を楽しむための余裕を持てるだけのレベルにしなければならないと主張します。

生きるにふさわしい暮らしが欲しい。それもいますぐだ。 (p.11)


生きるにふさわしい暮らし、とはなんでしょうか?

それは「素朴さと誠実さに支えられた暮らし」だと、モリスは言います。

現代の暮らしが、果たして楽しくなることがあるとしたら、そのためには、二つの善が 絶対必要である。(中略)その善とは、誠実さと、素朴な暮らしである。
私の言いたいことをはっきりさせるために、後者の反対語をあげよう。それは、贅沢だ。また、誠実さというのは、誰に対しても、きちんと心をこめて支払うべきものを支払う、誰かに損をさせて利益を得たりしない決意という意味でつかっている。 (p.89)


彼は、自然と人間の生活が反目せず調和し、生活や労働がただの苦役や歯車のひとつになってしまうことに、強い危惧を感じていました。そこには、彼が活躍していた19世紀にいよいよ本格化してきた、大量生産による資本主義への批判精神がすでにあります。

富とは、自然が私たちに与えてくれるものであり、道理をわきまえた人間が、道理にかなった用途のために、自然の恵みの中から作り出すものだ。 (p.150)


この言葉には「サステナビリティ(持続可能性)」という言葉を連想します。(もちろん、モリスの時代には「サステナビリティ」という言葉は使われていませんでしたが。)

そして講演で聴衆にこう呼びかけました。

少なくとも、欲しくない物や、自分が使わせてもらえないような物は作らないと決めるのは、私たち自身だ。それに注意して意志を働かせるなら、そのかぎりで、私たちは機械よりはましだ。 (p.144)


残念ながら、今の経済や産業は、モリスが危惧した方向に歩を進めてしまいました。

私たちは、安く大量生産されたモノに埋め尽くされ、日々の労働はおろか、生活それ自体にすら、楽しみを感じることが難しいと思う人が多数を占めています。

そんなふうにして、あくせく働いて生産した大量の商品は大量消費され、今度は大量廃棄を生むでしょう。

モリスは、経済成長を推し進め「もっと多く」「もっと豊かに」と、環境や働く人たちのことを顧みない資本家にこう言います。

それでも、「優れた人々」は、そういう世界を物足らないと言うのかもしれないが、それはお生憎様だ。(中略)「世界がひどいから好きなのだ。そして、自分たちは比較的 優遇されているから好きなのだ」──彼らは、そう答えざるを得ないのではないか?
ああ、友よ、こういう馬鹿者が、現在私たちの主人なのだ。 (p.228)


モリスは、都市化され汚れ始めた19世紀のロンドンの街を見て、気づいていました。こうした流れがやがて、世界的な環境問題になっていくことに。彼はすでに、100年も前から気づいていたのです。

こんにち私たちを取り巻く環境は、いったいどうなっているのだろう!
私たちの後に続く人々に、この地球に何をしたと聞かれたら、いったいどう説明できるのだろう。 (p.98)


この問いかけは、未来に生きる人々(つまり、私たちですね)へのメッセージが込められていますが、それは私たちが引き継ぐ言葉でもあります。

バネコッツウォルズ歩道

モリスの「言葉の花束」をどうぞ

近年、ウイリアム・モリスは、デザイナーとしてだけでなく、社会活動家としての側面にもスポットがあたるようになってきました。

それは、彼の言葉の中に、現代に生きる私たちがもう一度考え直し、取り戻さなければいけない「丁寧なくらし」があるからです。

最後に、そんなモリスの考える「エシカルなライフスタイル」に言及した素敵な一文がありますので、引用しましょう。

だから、心から良き芸術の新生を求めているのなら、素朴に暮らし、簡素さを愛でるセンス、つまり心地よく気高いものへの愛を育てることが、何にもまして必要だ。
田舎家でも宮殿でも、あらゆるところで簡素さが求められる。さらに付け加えれば、田舎家でも宮殿でも、すべての場所に清潔さと品位が必要だ。それがないのは、人間のふるまいという点で大きな問題であり、正すべきだ。 (p.46)


まだまだ紹介したい言葉はたくさんありますが、今回はこの辺で。

厳しくもあり、しかし同時に詩的でもあるモリスの名言。

言葉の花束のようなこの一冊。ぜひ手に取って、モリスの言葉に耳を傾けてみるのはいかがでしょうか?


参考:『素朴で平等な社会のために ウイリアム・モリスが語る労働、芸術、社会、自然』ウイリアム・モリス著 城下真知子訳 せせらぎ出版 2019年


文:越水玲衣


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