──将来はガーナに暮らすのですか。
チョコレートの起業はあくまで手段なんです。私は「わたしにとって住みやすい国作り」をしているつもりです。自分にとって先進国は窮屈でした。
ガーナでは、マラリアにかかって何度か死にかけました。マラリアは潜伏期間が2週間ほどあり、発症すると突然、関節が動かなくなるんです。24時間以内に治療を受けないと重症化し、しばしば死にいたります。
あるとき、森のなかで動けなくなり、「あたしはここでカカオの木になるんだな」と思いました。
たまたまにわとりが来て、それを追いかけていた少年に発見されたりもしました。見つかるのがあと2時間遅ければ死んでいた、という経験もあります。
ガーナでは治療費が高いです。7000円とか。「このお金がないと死ぬんだ」と思うと、お金を渡す手が震えました。他方で、ガーナの村のひとは一日100円ほどの収入で生活しています。治療費を支払えないひともいます。
── 一日1ドル以下というと……。
そうです。絶対的貧困ラインを下回ります。
──視点を変えて、「笑顔」について。田口さんはずっと笑顔を浮かべていますね。田口さんのように笑っているひとをほかに知りません。その笑顔はどこから来るのですか。
いつもにやにやしています。ガーナに行ってから、見える世界が彩り豊かになりました。身の回りにあるすべてのものへの感謝が生まれて。ヘンかもしれませんが、東京の真ん中で雨が降ってきても、その雨に感謝しちゃう!
それに私は好きなように生きているし、楽しいからかな。
──いまの生き方に、「生まれつき」の感性や性質がかかわっていると思いますか。
わかりません。でもむかしから、くいしんぼうでした。チョコが好き、甘いものが好き。元気を出したいときにチョコを食べました。子供の頃から自然が好きで、森のなかでブルーベリーをとって食べていました。一日中、そんな風に遊んでいて、両親は「どこに行ったんだろう」と心配していたみたいです。地球に感謝していました。
──ある記事で、田口さんは「想像力」が豊かだと読みました。それはたとえば、子供のときに絵本や童話を読んだといったことから来ていますか。
子供の頃からなにとでもしゃべっていました。わたしは一人っ子でしたし、ポーランドでも広島でも自然に囲まれていました。
* 田口さんは幼少期にポーランドで過ごし、中学・高校時代を広島で過ごした時期があった。
──「なにとでもしゃべる」というのは、そう感じるということですか。それとも、実際に話しかけるのですか。
本当に水とか花とかに話しかけて、対話していました。「昨日の夜、寒かったでしょ」と言ったり。自然にそうしていましたよ。変わったところがあったのかもしれません。そもそもガーナに最初に行ったときも、お礼を言いたくて行ったんです。いつもチョコレートに勇気をもらってきたから、こんなにおいしいチョコレートを作ってくれて、ありがとうって。でも、それでガーナまで行っちゃうひとはあまりいないですよね。
取材・文:木村洋平
写真提供:田口愛
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