AFRICLのすべて──凛とした笑顔をつくるお洋服(沖田紘子さん)


──AFRICLではコンセプトも見せ方も「笑顔」を大切にされていますね。そう思う気持ちはどこから来ているのでしょうか。

AFRICLイメージ画像

私のなかで「笑顔」への思い入れが生まれたのは、高校生の頃かと思います。

カラーガードというマーチングバンドのような競技を部活でやっていました。そこでは演技中は常に笑顔を求められます。どれだけつらいことがあっても、どこかが痛くても、お客さんの前では笑顔でいる競技でした。

その高校はいわゆる「堕ちた強豪」と言われるような公立高校で、資源も指導者も十分ではなく、演技の構成も衣装も、旗の製作もデザインから自分たちでやる部活でした。

全国で成果を出すことを目指し、「全員で魅せる統一美」を追求していました。

それだけ思い入れと力を込めた結果、私たちが笑顔で演技しているのを観て、笑顔になってくれる子供たちがいましたし、大人のお客さんも笑顔になったり、時には涙してくれたりしました。

笑顔がひとの心を動かせる、そういう力を意識するようになりました。

そこでさっきの話に戻るのですが、幸せや不条理は、

それぞれ国や地域によってちがうけれども、「生まれた場所」にかかわらず、笑顔でいられる時間が生まれることで、誰しもその瞬間には幸せを感じられるのじゃないかな、と考えました。

そんな風にして、「凛と生きる、すべての人に笑顔のきっかけを」というAFRICLのコンセプトに行きついています。


──子供の頃から社会を良くしたいという意識があったのですか。

小学生くらいから社会のために何かしたい、と漠然と思っていました。

中学生に上がる頃には、姉たちが就活だったので、将来どういう仕事をしたいのか、なんとなく自分も考えるようになりました。

政治家の汚職のニュースや環境問題のドキュメンタリーを見ては、「なんて残念な社会なんだ。どうにかしたい!」と使命感さえ湧いてきて、一時は内閣総理大臣を将来の夢にしていました(笑)。

学生時代には、アジア・南米・アフリカと足を運び、出来る限り一国のなかでも色々な地域の暮らしを見て回りました。

そんななかで、帰国するたびに考えることがありました。

「途上国」のひとも色んな機関も必死になって目指した先が、つらそうに通勤する人たちだらけの風景なのか?ということです。

そう自問し続けた結果、私は今の彼ら・彼女らが持っている豊かさを未来につなぐことがしたい。

彼らが今まで大切に紡いできた「豊かさ」の一つとして、彼らの伝統文化をつなぎたい、と思いました。

それなら、自分がずっと好きだったお洋服で、また、惚れ込んだベナンの「バティック」を使った仕事をしたいと思いました。


──「お洋服」も昔からお好きだったのですか。

そうですね。

祖母も母も着物が好きで、和装、着物は身近でした。洋服も、母や姉は自分の「好き」が明確にありました。

そういう環境のなかで、私にも伝統文化への愛着や敬意、自分の「好き」に正直にお洋服を選ぶ、という感性が自然と芽生えたように思います。

余談ですが、幼稚園の時、お気に入りのワンピースがありましたが、小学生になってサイズが変わっても着ていったら、パンツが見えていると笑われました(笑)。

それでも、「これは素敵だから」と着ていたこともあります。

ところが、中学生になって雑誌を読むようになると、「今年の流行色」や「トップモデル○○ちゃんの一押し」「マストバイ」といった言葉が踊っていて不思議に思いました。

1年後には流行遅れと見られるのが約束されているようなものなのに、なぜ買うんだろうと。

それから、SNS映えをするから買うというのも不思議だな、と思っていました。

大学生になって海外を見ながら、なぜ日本は笑顔が少ないんだろう、と考える中で、

自分を幸せにするお金や時間が使われていないのではないか、だから世間の「好き」を作る・誘導するような言葉や流れに違和感があったのか、

と気づき、自分の「好き」に正直なファッションを大切にしたいという思いを強くしました。