宇宙と文明と生命を考える(3)エシカルに生を賭ける(執行草舟氏)

菌の研究と、菌を使った食品の製造・販売をするバイオテックの執行草舟氏に、独自のリアリズムに基づく宇宙論、文明論、生命論を伺いました。(全3回)

夢の草舟執行草舟氏の肖像画
戸嶋靖昌 画夢の草舟<br>執行草舟氏の肖像画

取材日:2021年5月26日
バイオテック本社ビルにて

総称バイオテック(BIOTEC。株式会社 日本生物科学および株式会社 日本菌学研究所、執行草舟コレクション 戸嶋靖昌記念館(美術)の3部門から成る事業)の代表取締役社長であり美術館館長の執行草舟氏を取材しました。

執行氏は30代で創業し、以来「菌食」を提唱し、菌を使った健康食品を製造・販売しています。また、独自の美術コレクションを所蔵し、戸嶋靖昌記念館を非営利で運営しています。著述家としても20冊以上の著作があります。

執行氏の関心と見識は大変広く、今回は「菌」の話から始まり、現代文明をどう見るかを伺いました。全体を通して宇宙論であり、文明論であり、生命論でもある壮大なインタビューとなりました。


第1回「宇宙と文明と生命を考える(1)菌とはなにか/宇宙の秩序(執行草舟氏)」はこちら。

第2回「宇宙と文明と生命を考える(2)エシカルは世間と社会の壁を突き抜けられるか(執行草舟氏)」では、「個・種・類」を分けるヘーゲル哲学をもとに、「理想を持つ個人は、社会や世間の厳しい現実を戦い抜くことで、理想に至ろうとする必要がある」と語られました。


──インタビュアー(木村):今、エシカルやサステナビリティをやろうとすれば、日本社会の歪みや世間のしがらみといった「種(しゅ)」を突き抜けて、「類(るい)」に及ぼうとするリーダーシップが必要ということでしょうか。

執行草舟氏:そういうことです。

今は「みんなで幸せになりたい」という声も聞きますが、あれは理想とも言えません。「正」と「反」があるように、幸福な人が半分いたら、あと半分の人は不幸です。だから、全員が幸福になるとしたら、それは全員が不幸であるのと同じです。

昔、学歴無用論を唱えた人がいるのを知っていますか。「学校格差があるのはおかしい」と平等主義の人が言っていました。

(*編集部注:インタビュー自体は口語でおこなわれたが、この記事では「です・ます調」に直している。)


──ソニーの盛田昭夫さんの著書に『学歴無用論』がありますね。

盛田さんだけでなく、そう唱える人が多くいました。1960年代だったと思います。そのなかで、東京大学をなくそうという意見まで出たのです。または、「全員、無試験で東大に入れてはどうか」という話でした。「東大全入制」という議論です。

そういう平等主義の人たちが分かっていないことは、全国民が東大に入れるのなら、東大はないのと同じということです。東大に価値があるのは、東大がいわば意地悪をして、入れないようにしているからです。

この「意地悪」が、私がさきほどから言っている「種」なのです。


──つまり、本当に東大を変えたいと思うのならば、東大に入ったうえで、内側から変えたり、崩したりできないとならないということですね。

そうです。受験を勝ち抜いて入ったうえで、東大が持っている悪さをどう改革していくのかを考えるのが、「類」に行く理想主義と言えます。


──「強くあれ」ということですね。今の世の中で、強いことは必ずしも良いこととされません。また、誰かの弱さを口にすることははばかられますね。

執行草舟氏

しかし、実はなにかが「駄目」な人は、「駄目」だと言われることで、その人の価値が出てくるのですよ。人間は蔑まれてこそ良いところも出てきます。「粒子と反粒子」と同じように、蔑まれなければ高貴性も出て来ません。


──褒められるのではなく、蔑まれないと価値が出ないのですか。

これは当たり前のことです。すべてに裏表、プラスとマイナスがあるのですから。それが、私がいつも言う「不合理を抱き締めよ」「不合理を愛せよ」ということです。

たとえば、私も高貴だと言われることがありますが、もし、私に高貴さがあるとすれば、それは徹底的に蔑まれてきたからです。小学生の頃から、「不良である」「馬鹿である」と言われ、多くの人から嫌われてきました。親にも勘当されて死に別れました。

(* 著書『おゝポポイ! その日々へ還らむ』には、インタビュー形式で執行草舟氏の半生が綴られている。)

うちの社員にも、貶されたらすごく怒る者がいます。「貶されることが大切だ」と分からないのは、もう時代精神なのでしょう。


──「貶される」「蔑まれる」というのも、「種」を突き抜けるための過程なのですね。ところで、執行さんは民主主義について、ご著書で「元来の民主主義は、現代とちがってすぐれていた」という旨、書かれていたと思います。すると、もともとは民主主義も「種」を突き抜けるあり方だったとお考えですか。

そうです。「種」の不合理を勝ち抜いて、理想を目指そうとしたのがもともとの民主主義です。アメリカの独立宣言もそうですね。私は何度も引用していますが、パトリック・ヘンリーが言った「自由か、しからずんば死か」という有名な言葉があります。

パトリックヘンリー油彩画

(* パトリック・ヘンリーはアメリカ合衆国の弁護士、政治家。バージニア植民地がイギリスの支配を受けていることに抗議して、「自由か、しからずんば死か」という選択を迫る演説をした。)

これが「種」を突き抜けていく理想主義です。ベートーヴェンの言う「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と同じ精神ですね。だから、自由を得るためには死ぬことさえいとわない。自由は与えられるものではない。そういう覚悟を持つことが、民主主義の理想であったわけです。

今は死どころか、喧嘩もしてはいけないという時代ですね。


──「種」がなくなってしまっているのでしょうか。

そうですね。昔の宗教に替わったのがスピリチュアルと言えます。スピリチュアルの世界では、大変なことは全部抜きで、「直接、私は神様とつながっています」と言っていませんか。「自分は素晴らしい」と。

あれが「種」がなくなった状態です。ヘーゲルは「種」の筆頭に「民族」を挙げました。日本で言えば家制度も「種」ですし、私たちの背負う歴史や文化も「種」のものですね。

そういう、いわばドロドロのところから民族は生まれて来ました。はじめに家族や氏族ができて、戦争やいがみ合いがあり、その中で民族は形作られたのです。これは善い悪いの話ではなくて、実際に歴史上そうだったということです。


──今、そういう「種」が崩れていく中で、新しい「共同体」を作ろうという動きが模索されています。地域の共同体や、関心を同じくする者の共同体、助け合いの共同体などの再建についてどう思われますか。

昔にあったような共同体を復活させようというのなら、無理でしょう。人間関係もすでに崩壊しています。


──人間は孤立して、アトム(単子の意。ばらばらになった個)になったということでしょうか。昔とはちがう共同体を、アトムの私たちが築くことはできるのでしょうか。それはどんな形になりうるのでしょう。

これは難しい問題です。私が『脱人間論』で書いたのは、AIを中心にした社会に移行するのではないか、ということです。しかし、これもどうなるかはわかりません。

いずれにしても、「種」には混沌があります。混沌を作れないと「種」は作り上げられないのです。民族は、自然発生した混沌だと言えます。しかし、民族という共同体は、もう人類にはないですね。

みんな孤立した個であるアトムになって、好きなことを言っているのが現状です。それで、誰しも言っていることは「類」の理想でしょう。かつて民族がしてきたような争いは嫌だということで、今の人類は「種」のあり方を破壊し尽くしました。簡単な村社会まで、もうないと言ってよいでしょう。

そうなると、共同体ができるとしたらインターネットの中だけではないかと感じます。


──なぜ、インターネットの中では可能だと考えますか。

混沌というのは、悪徳を含みます。言ってみれば、悪いことができないと共同体もできません。インターネットやAIがもっと進化した世界では、悪が生まれて、新しい「種」の世界ができあがるのではないか、と考えます。

「悪」の反対は「綺麗事」ですが、これは誰でも分かっていることなのですよ。それが通らないから、みんな大変な思いをするわけです。

私たちの先祖だって、たとえば「人は愛し合わなければならない」といったことは分かっています。だけど、とんでもないことをする人がいるからひっぱたく。現実はそうですよね。おじいさん、おばあさんや地位が上の者が、若者やわからず屋を叱りつけ、叩いて来たわけです。

でも、今の人は上の人に叩かれたくはないでしょう。それでは、共同体は作れません。共同体というのは「種」の一つだから、「個」とは反発しているものなのです。


──つまり、「個」を大事にしているかぎり共同体は作れない、ということですか。

そうです。だから、「もう私たちはアトムなのだ」ということを認めるしかないでしょう。『現代の考察』やほかの本にも書きましたが、「ただ独りで生き、ただ独りで死ぬ」という生き方をする、ということです。


──執行さんがいつもおっしゃっている、武士道の貫徹ですね。最後になにか希望についてコメントいただけるでしょうか。

木村さんをがっかりさせてしまうかもしれませんが、そのように希望を求めることが、人類をここまで破滅的に導いてしまったと私は思っています。今まで多くの方々と話をしてきて、それが実感としてあるのです。

木村さんのようなやる気のある人は、「これからの人類にとって良いことを言って欲しい」という気持ちを持っていると思います。しかし、希望を持つ人は、このまま進んでも「大丈夫だ」と思ってしまうのです。それで、今の「なんでもあり」というやり方をやめないのです。

昔の人は、「無限の希望」のようなものを持っていませんでした。神の言うことを聞かなければ、つまり宇宙の秩序に反抗すれば、人間はすぐに滅びると分かっていたのです。


──たとえば、例として出された「邪魔なプラスチックを食べる菌を開発すると、今度はその菌が人間にとっての脅威になる」といったお話ですね。

そうです。原爆の発明や投下も同じです。このまま行っても滅びない、きっと「大丈夫だ」という希望が、人類をここまで破滅させてきたと思っています。

私はエルンスト・ブロッホの『希望の原理』という本が大変に好きなのですが、なぜこの本が好きかというと、私が知っている本の中で初めて「希望というのは、叶えられないから希望なのだ」と書いているからです。

つまり、希望はあくまでも夢物語だということです。


──夢物語。どこかシェイクスピアの『テンペスト』のようですね。

インタビューする木村
インタビューする木村

私も執行草舟コレクションや戸嶋靖昌記念館の活動を通じて、人類が再起するようなことは起こるかもしれない、と思ってはいます。もちろん、起こらないかもしれません。いずれにせよ、私にはそう思うことが希望であり、「まちがっている」という自覚はあるのです。


──今の世界は「種」を失ったというお話でした。他方、私はエシカルSTORYを運営していても、「これは書くと厳しい反応があるかもしれない」と感じる場面が、まだあります。つまり、世間という「種」が残っているように思えます。また、今の世間や社会が、「個」から「類」へ一足飛びに行こうとする姿勢をメインストリームにするのであれば、それに抗うことが、新しい「種」との戦いになりうるのではないか、とも感じました。

そうですね。そういう感じはあるかもしれません。


──本日は貴重なお話をありがとうございました。


取材/文:木村洋平
写真提供:㈱日本生物科学


編集部によるおすすめの本

インタビューの締めくくりとして、3冊の本を編集部の選でおすすめします。全3回の記事内容をより実感しやすくなる古典です。

『キリストにならいて』トマス・ア・ケンピス著、大沢章・呉茂一訳、岩波文庫、1960
 中世の修道士による信仰の導きの本。聖書に次いでよく読まれたとも言われる。ヨーロッパ中世の心性を深く示している。

『生命とは何か』シュレーディンガー著、岡小天・鎮目恭夫訳、岩波文庫、2008
 卓越した物理学者のシュレーディンガーが、生物と生命について思索した講演録。「負のエントロピー」という概念を提起している。

『ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン著、片山敏彦訳、岩波文庫、1965
 ベートーヴェンの生涯をコンパクトにまとめ、「ハイリゲンシュタットの遺書」などの資料も付す。情熱にあふれながら平静さを保つ筆により、ベートーヴェンの精神を彫り出す。

また、執行草舟氏の著作については、こちらに一覧があります。


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