宇宙と文明と生命を考える(1)菌とはなにか/宇宙の秩序(執行草舟氏)

菌の研究と菌を使った食品の製造・販売をするバイオテックの執行草舟氏に、独自のリアリズムに基づく宇宙論、文明論、生命論を伺いました。(全3回)

執行草舟氏バイオテック社長室にて
執行草舟氏

取材日:2021年5月26日
バイオテック本社ビルにて

総称バイオテック(BIOTEC。株式会社 日本生物科学および株式会社 日本菌学研究所、執行草舟コレクション 戸嶋靖昌記念館(美術)の3部門から成る事業)の代表取締役社長であり美術館館長の執行草舟氏を取材しました。

執行氏は30代で創業し、以来「菌食」を提唱し、菌を使った健康食品を製造・販売しています。また、独自の美術コレクションを所蔵し、戸嶋靖昌記念館を非営利で運営しています。著述家としても20冊以上の著作があります。

執行氏の関心と見識は大変広く、今回は「菌」の話から始まり、現代文明をどう見るかを伺いました。全体を通して宇宙論であり、文明論であり、生命論でもある壮大なインタビューとなりました。


──インタビュアー(木村):まずは、菌について伺ってもよろしいでしょうか。菌とはなんでしょう。

執行草舟氏:菌というのは地球上の生命の源なのです。だから、極端な言い方をすれば、地球上にある生命は動物も植物もすべて菌によって活動することができ、すべて菌によって保たれています。

最近は学問的にもだいぶ証明されてきていますが、我々人間の体も、これは菌が生きるために創られたという方が正しいと言えます。人間だけではなく、動植物も菌が生きるために生まれてきたのです。

では、なにが菌かと言うと、宇宙エネルギーそのものであり、またじかに宇宙エネルギーに反応している生き物のことです。菌は宇宙エネルギーに対する反応が綺麗なのです。それに対して人間というのは思い込みで動いているから、じかに反応しないのです。

(*編集部注:インタビュー自体は口語でおこなわれたが、この記事では「です・ます調」に直している。)

(*「宇宙エネルギー」は物理学で捉えられるエネルギー(正のエネルギー)に加えて、科学で計測できない「負のエネルギー」を合わせたもの。執行氏の著作によれば、「負のエネルギー」とは、ひと言で言えば、愛や信念や正義といった精神的な価値を生み出す源である(木村の解釈による。以下同様)。)


──私たち人間の体は、菌が生きるために生まれたのですか。

最近、何人もの生理学者によって提唱され、学問的にも証明されつつあるのは、我々は腸内細菌が生きるために生命を与えられているんじゃないかということです。さらに私の考え方で言うと、腸内細菌だけではなく、実は人間の体の中というのはすべて菌の塊だということです。

一番かんたんな例で言えば、生化学において、我々の運動エネルギーをぜんぶ司っているのはミトコンドリアですね。細胞内にミトコンドリアがあるのはご存じでしょう。そのミトコンドリアは、実は菌なのです。あれはもともと人間の外部にいた菌、ウイルスです。それが人体に入り込んで、細胞の中に巣くって生まれたのが人間です。そういうことが今、学問的にも次々と証明されています。

(*ミトコンドリアは細胞内に生息する生命体。ATPの合成をおこなう。ATPは人間が活動するエネルギーである。日々、たえずATPが合成され、また体内に保存されることで人間は生存していられる。)

だから菌を研究すれば、生命とはなにかがわかります。また、宇宙エネルギーや人間とはなにかということもわかってきます。だから私のしてきた菌学研究というのは、そういう宇宙や生命、人間が築いた文明のすべての源を探る研究なのです。

語る執行氏


──執行さんの研究には先駆者がいたのですか。

この菌学研究を先取りしていた学者が、有名な南方熊楠(みなかた くまぐす)です。南方熊楠は、自分のすべての研究の中心は粘菌(ねんきん)の研究だとはっきり言っています。あのネバネバした粘菌です。

だから私の生き方は南方熊楠の現代版だと言ってもよいです。

南方熊楠も、やはり菌というのは生命の根源であり、動物であり植物であり昆虫なのだと言っています。つまり、あらゆる生命を生かしている源だということです。


──執行さんがご著書で書いていらっしゃることに「酸化と還元」があります。「人間がなにかを生産すること」はすべて「酸化」に当たり、逆に人間によって生産されたものが、菌や微生物の働きによって土や空気に還ることが「還元」でした。そう見ると、現代文明には還元が足りていないのでしょうか。

私だけでなく誰もが言っているけれど、もう酸化思想に覆われて、すべてが物質主義によって動いているのですね。現代は還元がまったくできておらず、地球は必ず滅びます。酸化が行き過ぎてしまったということです。

歴史で言うと、ルネサンスの前、中世では、日本でもヨーロッパでも酸化と還元がちょうどバランスをとっていました。

(*「ルネサンス」はヨーロッパの中世後期、おおよそ13-16世紀を指す。一般に、古代ギリシア・ローマの文化が再び花開いたことで、神を中心とする中世の秩序から、人間中心の文化が築かれていく時期として、肯定的に評価される。ただし、執行氏はルネサンスを「人間が神を失った」時期、「人間中心主義が始まって、そこからバランスを崩した近代文明が始まる」時期と位置づける。)


──日本の中世もそうなのですね。

そうです。そして、日本は江戸時代までバランスをとっています。物質を生み出したら、その分消費・消滅していくという過程がずっと続く、そのあり方が酸化還元社会として正しいのです。それなら、文明はほとんど無限に続いて行くことができます。

しかし、ルネサンスに由来するこの工業思想とでも言うべきものが、今はどんどん肥大化しました。人間は神を失い、自分たちが「神」になってしまいました。あとは「なにをやってもいい」ということになり、歯止めが効かなくなっています。

その発展が行き過ぎて原爆を生み出し、プラスチックを生み出し、化学薬品を生み出しました。自分たちで自分たちの首を絞めて破滅に向かっているのです。原子力発電もそうですが、今やめたとしても燃料棒の捨て場もないのだから、我々はみんな放射能にまみれて死ぬわけです。わかっているのに誰もやめません。

プラスチックも同じです。プラスチックは人間が生産し出して70年くらい経ちますか。約100億トン近くは溜まっているはずです。その1パーセントも処分されていません。まったく還元しないわけだから、そのまま地球上にごみとして溜まっています。あと数十年で生物は生息不能になるでしょう。でも、そうだとわかっていても誰もやめないですね。


──たとえば、バイオプラスチックを研究して持続可能な社会を築こうという動きもありますが、いかがでしょう。

その持続可能な社会になるというのは嘘です。これは、人間がなにかを捨てないとそうはなりません。

(*「捨てる」というのは執行氏が大切にする言葉のひとつであり、今自分にとって手放したくないものを断念する、という意味で使われる。禅の修行でも、「捨てること」という言い方がある。ここでは、今の文明において、「便利さ」や「心地よさ」をみずから断たないと持続可能な社会にはなりようがない、ということ。)

今の「バイオプラスチック」にしても、またはバイオ燃料でも同じですが、ひとが創り出した菌は工業製品だということを知らないといけません。たとえば、土壌を改良するために放射能を食べる菌を作る、という話もあります。そういう研究もされていますが、そういう目的で菌を創ったら、それは工業製品なのです。

実は人間が創った菌というのは菌ではなく、それは自動車や飛行機、原子力発電所と変わらないのです。たとえば、抗生物質も菌ですが、あれは化学物質であって工業製品でしょう。だから、還元型ではありません。

今では、プラスチックを食べる菌を創るというひともいます。では、それが出来たらどうなるか。そのプラスチックを食べる強力な菌によって人類は滅びるでしょう。人間がやることは、そんなにうまくいかないのです。

インタビューする木村
インタビューする木村


──私は以前から思っているのですが、「サステナビリティ」は理想の社会を目指しているところがあり、仮にそれが実現してしまったら、オルダス・ハクスリーの描いた『すばらしい新世界』のようになるのではないか、と。

その通りです。今、私が話していることはそれですよ。

(*『すばらしい新世界』は20世紀前半に書かれたディストピア小説。そこでは文明が発展した国において、人々は不自由なく、快適に生活し、薬品と機械技術で満足を与えられ続ける。しかし、人間の生存の重みや精神の問題、生きる意味はすべて等閑に付されている。)

人間がなにかをやればやるほど、自然から離れていくのです。

だから、我々は神や自然にもっと尊崇の念を呼び覚まして、もっと宇宙の循環のなかに入り込まなければ駄目なのです。

では、宇宙の循環のなかに入り込むとなにが起こるのかと言うと、自然淘汰なんですよ。つまり、弱い者は死に、強い者が生き残るという当たり前のことが起こります。しかし、これは「民主主義・平等・ヒューマニズム」を掲げる白人文明が絶対に許せないものなのです。

でも、それが宇宙なのです。宇宙というのは、我々が思うような自由は何もありません。秩序がびしっと決まっているわけです。

そして、まったく平等ではありません。平等ではなく、各々に役目があるということです。我々は役目において生きるしかないということです。それが昔の人が言っていた「人間に課された運命」ですが、今の人は嫌がるでしょう? みんなで幸福になりたいんだから。

(*「役目」という言葉は、「それをするためにその人が生まれてきた、運命の与えるもの」という意味。例を出すと、「大工の子は大工になる」「国家のエリートになれるなら、その職務を全うして国に尽くす」「(モーツァルトやベートーヴェンのような)音楽の才能を持って生まれたら、それを活かす職業に就く」といったこと。)


──今なら、多くの人は役目を秩序から与えられるのではなく、なにをするか自分で選びたい、と考えますよね。

そう。しかし、「選べない」のです。それがわからなければ、私の話はなにもわからないと思います。これはルネサンスで人間が神を殺す前、中世までの人はみんながわかっていた話なんですよ。私の言った宇宙の秩序を神と呼んでいたわけですから。

だから、まず神の掟があると言えます。その神の掟に従って、文明も創らなければいけない。それはどういう社会になるかと言うと、不平等社会です。強い者が勝つ。弱い者は負ける。病気になれば死ぬし、運が悪い人は運が悪い。このあたりは現代人は受け入れないですね。しかし、そこがわからないと、そもそも始まらないということを言っているのです。

我々は宇宙の一環として生活しているだけなんですよ。たとえば、地球の軌道が1度か2度狂っただけでも、我々は全員破滅します。太陽との距離が5パーセント近づいたら、全員が死んでしまう。でも、そうならないから我々は今生きている。これが秩序です。だから、それを守るしかないわけです。

(*「地球の軌道」について述べられているのは、地軸傾動、歳差運動、離心率といったサイクルがほんのちょっとでも狂ったら、という仮定だと思われる。)

この秩序を壊そうとしているのが、現代の工業文明だし、白人が生み出したルネサンス以来の文明なのだから、その間違いをわかるしか救われる道はないでしょう。しかし今はもうほとんど誰にもわからないのだから、滅びるところまで行きますね。


──そうして、滅びた後を考察したのがご著書の『脱人間論』ですね。

そう、『脱人間論』の世界です。これはAIを中心とした世界で、そこに生き残った人間は、今の人間とはもうちがうと言っています。「文明が滅びる」と言っても、生き残る人はいるのですから。

(*『脱人間論』(執行草舟、講談社、2020)は、現代文明が行き着く果てを考察した書物。近い未来、AIの高度な発展によってほとんどの人間は形ばかりの幸福を享受する「家畜」になり、独立した気概を持つ人間ではなくなると述べる。)


──それが混沌(カオス)を持った人間ということでしょうか。今よりも進化したAIに対抗して、生きていけるという。

ええ。中世の前の人間です。昔の人は、私が今話しているようなことをわかっていたんですよ。「馬鹿は馬鹿だ」と言っていました。

今の社会では、逆に「弱い人間」「馬鹿な人間」「欠点のある人間」の方が、そうでない人間より上に置かれているでしょう? これは大きな声では誰も言えないけれど。

たとえば学校なら、勉強するところなのだから、勉強ができる人が中心であるのが当たり前なのです。でも今は「ビリ」や「落ちこぼれ」が中心になっています。

こう言ったからといって、私は慈悲を否定したり、助けるのがいけないと言っているのではないんですよ。可哀想な人を助けるのはよいのです。しかし、それが中心ではない、ということです。

そういう当たり前のことがわかる人は、これから先も生き残りますよ。

(*人間の文明では「強い者が勝つ」のが宇宙の哲理だということ。それが中心にあると見据えた上で、そのなかで慈悲や人助けをするのはすぐれたことである。しかし、これらの順序を逆転させようと考えると、文明のあり方を狂わせてしまう、ということ。)


第2回「宇宙と文明と生命を考える(2)エシカルは世間と社会の壁を突き抜けられるか(執行草舟氏)」では、「目に見えないものの価値」とヘーゲル哲学を踏まえた「文明の生き抜き方」がテーマになります。

第3回「宇宙と文明と生命を考える(3)エシカルに生を賭ける(執行草舟氏)」では、文明の中で生き抜く仕方をさらに掘り下げ、「希望」について語ります。


取材/文/写真:木村洋平
写真提供:㈱日本生物科学

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