「今日のエシカル」は「エシカルとはなにか」をいろいろな方向から考えるコーナーです。
詩人のまど みちおさんをご存じでしょうか。
「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」の詩が有名です。
小学校の頃に、音楽の授業で歌ったかもしれません。
ぞうさん
まど みちおさんの詩「ぞうさん」より
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
しろやぎさんから おてがみ ついた
「やぎさん ゆうびん」より
くろやぎさんたら よまずに たべた
さて、今日は「朝がくると」という、まどさんの詩から、エシカルについて考えてみたいと思います。
朝がくると
朝がくると とび起きて
ぼくが作ったのでもない
水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったのでもない
洋服を きて
ぼくが作ったのでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったのでもない
本やノートを
ぼくが作ったのでもない
ランドセルに つめて
せなかに しょって
さて ぼくが作ったのでもない
靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったのでもない
道路を
ぼくが作ったのでもない
学校へと
ああ なんのために
いまに おとなになったなら
ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが
できるように なるために
これを読むと、子供心にさえ、私たちの生活は、私たちが「作ったのでもない」ものによって満たされ、ようやく成り立っていることに気づきます。
エシカルやサステナビリティの考え方で言えば、張り巡らせられた「サプライチェーン」(モノの供給網)があります。つまり、「原材料の調達」がなされ、労働があって「製造」され、「流通」と「販売」がなされて、初めて世界中からモノは私たちのところまで届いています。
詩は最後に、「おとなになったなら」「ぼくだって」「なにかを 作る」決意を見せています。
それは、エシカルな世界観をもって、世界がつながっていること、誰もが助け合い、支え合って私たちの生活が成り立っていることをわかったうえで、「エシカル消費」や社会のなかの仕事をすることを連想させます。
エシカルとは、世界をいっしょに作ること、なのかもしれません。
『まど・みちお詩集』谷川俊太郎編, 岩波文庫, 2017
文:木村洋平
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