人類学者が異文化研究から学んだ幸せのヒント、「持たず、威張らず、頑張らず」について考えます。東南アジア、ボルネオ島で森の民から学んだ知恵とは。
人類学──それは研究者が長期間ある民族の中へ入りこみ、ともに生活しながら研究する学問です。
『マンガ人類学講義 ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか』奥野克巳+MOSA 著(2020日本実業出版社)をご紹介します。
エシカル・カルチャー第4回目では、人類学からエシカル(異文化理解と生物多様性)を紐解いてみようと思います。
所有も感謝も反省もない場所で知った「自由」
この本の著者は、東京で人類学の大学教授をしている奥野克巳氏。
「人間は働かなければいけないのか」
「勉強しなければいけないのか」
毎日の忙しさに疲れてしまったとき、私たちはついそんな根源的なことを問いかけてしまいますよね。
奥野氏は、そんな私たちが生きるうえで、 当たり前だと思っていることが当たり前でない場所を調査することで、「幸せ」とはなにかを探そうとします。
訪れたのは、東南アジア。ボルネオ島に暮らす「プナン族」です。
彼らは、今では数少ない狩猟採集民族で、狩りだけで暮らし、子供は学校に行かない、そんな人々です。
彼らは独特の価値観で生きています。「所有」も「感謝」も「反省」もしないのです。
初めは戸惑った奥野氏でしたが、プナンの人々の言動と気持ちを知っていくにつれ、私たちにはない自由さと幸せがあることに、気づいていきます。
それを象徴するような、興味深いエピソードをご紹介しましょう。
腕時計たらい回し事件
お世話になっているあるプナン族の男性から腕時計を買ってきてほしいと頼まれた奥野氏。
街でさっそく購入して男性にいざ渡そうとすると……そこに居合わせた、その男性の妻の弟がおもむろに手を伸ばし、こう言うのです。
「それ、ちょうだい」
「は?」
一瞬、言葉を失う奥野氏。
しかし時計の依頼者はまったく動揺することもなく、
「ほい」
この申し出をあっさり快諾。
「はあ?!」
せっかく彼のために買ってきたのに……奥野氏の憤りをよそに、腕時計は男性の妻の弟(甥)のものになってしまいました。
数日後、その甥の腕になぜか時計がついていません。気になった奥野氏、時計はどうしたと聞いてみます。すると、「父さんがほしいっていったから」あげた、と言います。
さらに、その父親のもとに行ってみると、案の定、時計はすでに人手に渡ったあとでした。
「別の息子が欲しいっていったから……」
こうして、買ってきた腕時計は次々に人の手に渡り、しまいには「見知らぬ人」が時計を付けているのを発見した奥野氏。もはや開いた口がふさがらないといったところです。
いかにもお人よしなエピソードにも感じますが、なぜプナンではこんなことになるのでしょう。そこには狩猟民族ならではの文化が関係しています。
気前よく分け与える文化
プナンの社会では「気前よく分け与えることはいいことだ」とされているのです。
プナンは狩猟採集の民です。狩猟採集社会では、農耕社会のように「収穫物を貯蔵する」ということができない(基本的に腐ってしまうからです)ので、所有欲を戒めるような道徳観が作られているのです。
しかも彼らは生まれつき気前がいいのでありません。「ひとり占めはダメだよ」と幼い頃に教わります。
したがってプナンの社会では、一番みすぼらしそうに見える人が尊敬されます。彼らにとってモノとは、一時的に所有はしても誰のものでもないものです。
だから受け渡しにおいて特別な感謝もなければ、自分がやったことに対する反省もありません。「わたしのもの」「わたしのしたこと」という考え方から、プナンの人々は自由なのです。
人は目的や正解がないと不安になりがちですからね
でもプナンの人々は執着しない
そこに将来に対する言いようのない不安を生きる私たちにとっての
手がかりがあると思うのです。
p.194~195
プナンの分け与えには、動物や植物も含まれており道にはいろいろなものが平気で捨てられています。
それを動物たちが拾って食べ、捨てられたフルーツの種からは次の芽が生えてきます。プナンの人々が「所有欲」をセーブするのは、こうした動物や植物も取り込んだサイクルを、うまく循環させるためなのでしょう。
人間と対等な動物
奥野氏はマンガの中で言います。プナンの人と話していると、いま人間のことを話しているのか動物のことを話しているのか、時々わからなくなる、と。
プナンでは、人間と動物は対等であり、自然のなかで人間が偉いわけではありません。彼らの神話の中には、動物も以前は人間だった、というものがたくさんあります。
たとえば、さきほどの「所有」に関して、フンコロガシは強欲な人間が姿を変えたものだといわれています。彼らは土の中では、今でも人間の姿で蓄財に励んでいるとのこと。
このように、人間と動物がまるでグラデーションでつながっているような神話が、プナンにはたくさんあります。
人間と動物がつながる
また、プナンの人々が狩りをする時、彼らは一瞬だけ人の心を忘れ、動物の気持ちになりきります。
彼らがシカを狩る時に吹く草笛は、交尾に誘い出す音色を出しておびき寄せますし、魚を捕るために水面に石を投げ入れる時は、水中にいる魚の気持ちになるといいます。
そうやって獲物を仕留めます。そして、彼らは奪った動物の魂のために、その名前をけっしてまちがって呼ばないよう細心の注意を払います。
「人間が動物に心を寄せる」ことは、プナン以外の狩猟民族でも行われていますが、こうした文化の中では、動物は食糧であると同時に、魂のあるものとして、その尊厳を大切にされています。
マンガの終盤で、奥野氏は助手であるMOSAさんに語ります。
人類学者はなじみの薄い「異文化」に長期滞在し、
そこにいる人間を調査してきました。
しかしその結果、人間の現象だけしか扱わなくなった。
実際はプナンのように
カミ(神)や動物たちとの絡まりあいの中で生きているというのに。
そういった反省から近年、
他の生物種との絡まりあいの中に人間を考える動きが起きてきています。
もしかしたら人類学は今変わろうとしているのかもしれません。
人間的なるものを超えた人類学へ。
p.196~197
マンガだからこそ伝えられた、異文化と生物多様性
ふつう人類学の研究成果は、「人文学」や「民族誌」という文章によって報告されてきました。しかし奥野氏は、文章では説明しきれないプナンの人々の全体像を、マンガで感覚的に伝えたかったといいます。
人間と動物、神話と生活が混然一体となったプナンの世界──マンガの長所をフル活用して異文化を伝えようとした意気込みと熱量が、こちらにも伝わってくる一冊です。
この記事が、異文化理解や生物多様性を考えるためのヒントになってくれたらと思います。
参考文献 『マンガ人類学講義 ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか』奥野克巳+MOSA 著、日本実業出版社、2020
写真/文:越水玲衣
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