『センス・オブ・ワンダー』(不思議さへの感性)を育む

レイチェル・カーソンの本『センス・オブ・ワンダー』は、「自然の不思議さと神秘におどろく感性」を持つことを教えてくれるエッセイです。

センスオブワンダーレイチェルカーソン著とそれに触発された展覧会の図録
右がカーソンの著書左はそれにインスピレーションを得た美術展の図録

この記事ではレイチェル・カーソンの本『センス・オブ・ワンダー』を紹介します。


いま、「環境」は世界的に大きなテーマです。とくに「気候変動」(気候危機)はエシカル、サステナビリティの文脈でよく取り上げられます。

環境についてなにか考える根っこには、自然を体で感じとり、そこに心からのおどろきや喜びを感じるという感性があると思います。レイチェル・カーソンがこの本で書いているのはそうした自然への喜びの歌といえます。自然と人間の共生を考えるとき、「自然の不思議と神秘におどろく感性」=「センス・オブ・ワンダー」を取り戻し、たしかめさせてくれるのがこの本です。

新潮社刊センスオブワンダーレイチェルカーソン著


本は、嵐の夜にレイチェル・カーソンが2歳に満たない「甥のロジャー」と海辺に行き、ふたりがなぜだか喜びに満たされて笑う場面から始まります。

カーソンは海が大好きです。大洋の神(オケアノス)の力をロジャーとともに感じた晩でした。それから、ふたりは連れ立って昼だろうが夜だろうが、森を歩き、メイン州の海辺でゴツゴツした岩場を歩くようになります。

「花崗岩にふちどられた海岸線から小高い森へ通ずる道には、ヤマモモやビャクシン、コケモモなどが茂り、さらに坂道を登っていくと、やがてトウヒやモミのよい香りがただよってきます。」(本からの引用)

「ロジャーは、
「あっ、あれはレイチェルおばちゃんの好きなゴゼンタチバナだよ」
とか、
「あれはバクシン(ビャクシン)だね。この緑の実は、リスさんのだからたべちゃいけないんだよ」
などといったものです。」

ただし、カーソンは植物の名前をひとつひとつ教えたりはしませんでした。おしゃべりして、冒険していただけです。

「私は自然のことをよく知らないから、子供に教えられません」と言うお母さんに、カーソンは書いています。

「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない、と固く信じています。」


「月はゆっくりと湾のむこうにかたむいてゆき、海はいちめん銀色の炎に包まれました。その炎が、海岸の岩に埋まっている雲母のかけらを照らすと、無数のダイヤモンドをちりばめたような光景があらわれました。」

こうした風景を何度も味わったカーソンとロジャーはある夏、ふたたび満月と海と夜空を眺めていました。カーソンのひざの上で、ロジャーはそっとささやきました。

「ここにきてよかった」


カーソンが「原生林」と呼ぶ、雨の森を歩くのはふたりとも好きです。

「カラシ色やアンズ色、深紅色などの不思議ないろどりをしたキノコのなかまが腐葉土の下から顔を出し、地衣類や苔類は、水を含んで生きかえり、鮮やかな緑色や銀色を取りもどします。」

カーソンは地衣類が好みで、一方のロジャーはトナカイゴケに大よろこびでした。


ここまで読まれて、「けれど、アメリカのメイン州でなければ、それは味わえないのでは?」と思われたでしょうか。

なにもアメリカの原野に行かなくても、自然に目をみはることはできます。カーソンはただ空を眺め、満月に双眼鏡(立派なものでなくてよいのです)を向け、渡り鳥を見て、小さな綿毛にレンズを当てるだけで、身近な自然におどろくことができる、と書いています。また、鳥の声や虫の音についても触れています。コマツグミ、モリツグミ、ウタスズメ、カケス、モズモドキ。

(ちなみに、カーソンは農薬や殺虫剤のばらまきにより、鳥の声が聞こえなくなる世界を恐れ、予見して『沈黙の春』(”Silent Spring”)を書きました。この本は論争を巻き起こし、環境問題に世界の耳目を向けさせるベストセラーになったのでした。)


さて、ロジャーと冒険した歳月は、子供時代にとってただの「愉快で楽しい」過ごし方ではないとカーソンは信じています。


「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。」

” Those who dwell, as scientists or layman, among the beauties and mysteries of the earth are never alone or weary of life.”


そして、詩のようにこう歌っています。

「鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン──夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ──のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。」


『センス・オブ・ワンダー』は薄い本で、本文は日本語で60ページに満たないほどです。というのも、この本を書き始めた時、すでにカーソンはがんに侵されており、執筆の途中で命を終えたからです。日本語では、上遠恵子さんの訳で新潮社から出版されています。その初版は1996年の発行ですが、2020年の10月に66刷ですから、長年のベストセラーといえます。

筆者は、2021年の元旦、朝起きてこの本を一息に通読しました。気持ちがよかったです。みなさまもすこやかですがすがしい一年を送れますよう、祈りつつこの記事をしたためます。


文・写真:木村洋平


『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン著, 上遠恵子訳, 新潮社, 1996(Amazonはこちら
Rachel Carson, The Sense of Wonder, New York: Harper & Row, 1965

* 2021年 夏に装幀(そうてい)の美しい文庫版(新潮文庫)が出ています。