偉人ネルソン・マンデラの言葉たち

20世紀の南アフリカに生まれ、人種隔離政策(アパルトヘイト)と闘って大統領となったネルソン・マンデラの言葉を紹介します。

ネルソン・マンデラは政治家であり、活動家であった20世紀の偉人です。


南アフリカの苦境

20世紀の南アフリカ(現在の南アフリカ共和国)では、「アパルトヘイト」という人種隔離政策が強く推進されました。それは白人を政治・社会・経済で優位に立たせ、黒人を徹底的に差別するものでした。

このアパルトヘイトに抵抗し、闘った活動家の一人が、黒人のネルソン・マンデラでした。

彼ら彼女らの活動は実を結び、1990年には人種差別を定めた法律の廃止が始まります。そして、1994年には南アフリカ共和国で初の、すべての人種が参加する選挙がおこなわれ、大統領にマンデラが選ばれました。

この記事ではマンデラの言葉を紹介します。


対話について

地上最強の武器は、暴力ではなく対話である。

英国BBCによるインタビューにて 1993年

こう語るマンデラも、若い時にはやむにやまれず、武力闘争をしています。そのために裁判にかけられ、刑務所に投獄されました。なんと約27年間、牢獄にいて1990年にやっと解放されるのです。

私は決して言葉を軽んじません。

二七年の獄中生活で良いことがあったとすれば、ひとりでいることから生じる沈黙のおかげで、言葉がいかに大切であるか、心からの言葉が人間の生死にいかに影響を与えるかを理解したことです。

演説にて 2000年

刑務所の中で独りぼっちになるのは辛い。

友人との会話にて 1993年

刑務所では「過酷で残酷な扱いを受けた」とも述べています。


克己について

1990年に公の場に出られるようになってから、マンデラは同胞と市民に語りかけています。

大きな怒りと暴力をもってしては、決して国づくりはできない。

政治集会にて 1990年

自分たちが置かれた状況を他人のせいにしたり、自分たちの発展を人頼みにしたりするのはもうやめよう。

自分の運命の主人は自分なのだから。

晩餐会にて 2002年

このように高潔に語るマンデラですが、「私は決して聖人ではない」ともはっきり考えていました。

南アフリカが犯した間違いを正す手助けをしようと思っていた。

その第一歩は、私がとてもよく知っているある南アフリカ人の弱点を克服することなのに、そのことには考えが及ばなかった。

そう、私自身である。

未発表の自伝原稿から 1975年

自分を変革するのはとても困難だ。

社会を変革するより、ずっと難しい。

インタビューにて 2000年

マンデラはずっと自分と向き合ってきたのでした。

自伝では「人間に対する信頼が大きく揺らぐ、辛い瞬間が何度もあった。」とも語っています。けれども、

根本的に私は楽天家である。

それが生来のものか、環境によるものかは分からない。楽天家は概して、頭を太陽の方に向け、足を前に動かす傾向がある。

自伝『自由への長い道』より 1994年


文化、歴史、創造について

マンデラは読書と文学を愛し、スポーツも好きでした。

文化と創造力は、真実と同様、永遠に残る。

式典にて 1997年

そして、「ばらばらに破壊する」ことは簡単だが、「和解し、建設する」ことは難しいと述べています。それこそ、偉大な人たちが達成してきたことなのです。

何千年もの間、どの世代においても、人類は愛と展望と限りない勇気を持った男女を生み出してきた。

これらの偉大な人々のおかげで、歴史がいかに困難な問題を投げかけてきても、私たちは今まで人間性を失わずに済んだし、これからも人間性を保ち続けるだろう。

国際会議にて 1990年

私たちも歴史に学びながら、人間性を保ってエシカルな社会を築いていくことができますように!


参考:『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』ネルソン・マンデラ著、長田雅子訳、明石書店、2014


文:木村洋平


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