世界一「質素な大統領」ホセ・ムヒカの言葉と人生

今回は、エシカルな(元)大統領の紹介です。「世界でもっとも貧しい大統領」とも呼ばれた、質素で思想のあるホセ・ムヒカの言葉と人生を紹介します。

世界でもっとも貧しい大統領 ホセムヒカの言葉本の表紙

ホセ・ムヒカは、2012年に国連の会議でおこなったスピーチで有名になった、当時のウルグアイの大統領です。


リオ会議(持続可能な開発会議)でのスピーチ

2012年、「持続可能な開発会議」(リオ会議)がブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれました。SDGsが採択されるのが2015年ですから、その3年前、まだ「持続可能(サステナブル)」という言葉が今ほど盛んに言われていなかった時代です。

しかし、その時のスピーチは今聞いても、とてもラディカル(とがった内容)です。

ホセ・ムヒカ大統領はこう語りました。

“午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと」でした。けれども、私たちの本音は何なのでしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか。”

ムヒカ大統領は、ノーネクタイにジャケットというラフないでたちで、国連演説という堅さのない口調でした。

“ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどのくらい残るのでしょうか。”

“西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。”

“このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄の議論はできるのでしょうか。”

ムヒカ大統領は「ハイパー消費」主義の社会はまちがったものだと言います。

“人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。”

“根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。”

これは、エシカルなライフスタイルが重要だということです。スピーチはまだ続きます。

“私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。

愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の物をもつこと。

発展はこれらをもたらすべきなのです。幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。”

以上は、8分間のスピーチからの抜粋です。

このスピーチが終わると、静まり返っていた会場は沸き返り、しばらく拍手が鳴り止まなかったとのことです。


ムヒカの哲学

このスピーチは「もっとも衝撃的なスピーチ」と呼ばれるようになりました。同時にムヒカは「世界でもっとも貧しい大統領」と呼ばれるようにもなりました。しかし、ムヒカ大統領はこう答えました。

”私は貧乏ではない。質素なだけです。”

また、古代の哲学者セネカらの名前を引きながら、”貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです。” とも言っています。

ムヒカは、2010年〜2015年の間、ウルグアイの大統領を務めましたが、大統領官邸には住まず、首都の郊外にある小さな農場で暮らしました。家は小さな平屋で3部屋があるきりです。水道は通っておらず、雑草の生い茂った井戸から水を引いています。

ホコリまみれのガレージには1987年製のフォルクスワーゲン・ビートルがあり、自分で運転してどこへでも行きます。大統領専用車は使わず、家に使用人もいません。

大統領の給料は、当時の日本円で130万円ほど。その9割は慈善事業と、自分が所属する政党に寄付しています。

ムヒカはこうも言っています。

”質素は「自由のための闘い」です。”

”物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ自由なのです。”

では、ムヒカが自分の時間になにをしているかというと、妻とともに野菜を作り、花を栽培し、トラクターに乗って畑を耕すそうです。3本足の愛犬ともよい時間を過ごしています。


ムヒカの人生

では、こうした生活や哲学にたどり着いた彼の人生とはどんなものだったのでしょうか?

幼い頃のムヒカは「ペペ」の愛称で呼ばれていました。実は大統領になってからも国民からは「ペペ!」と親しまれています。

さて、ペペは「僕のオモチャをすべて隣の人にあげる」と言ってきかない子供だったそうです。大統領になってからも寄付に熱心ですが、それについては、「私にとって、それは犠牲ではありません。義務なのです」と述べています。

”世界が物とお金と資源であふれているなか、人に車を貸すことも惜しみ、貧乏人に手を差し伸べず、野良犬にご飯も家もあげないような、こんなにもセコい世界は他にあるのでしょうか。神様に謝りたい。”

こんな風に考えるムヒカは、すると「生まれつきの善人」、言ってみれば「心優しいお人好し」だったのでしょうか。

いいえ。ムヒカの青春時代は、経済の停滞、インフレの進行、そして失業者が増え、格差が広がり、労働者は苦しむという社会不安の時代でした。ここで、理想主義のムヒカは社会主義革命を目指すゲリラ活動に加わります。

キューバの革命家チェ・ゲバラの影響を受けた組織に入り、武力闘争をするのです。

そして、政府の弾圧を受け、機関銃をベッドの下に置いて眠り、野宿さえした挙げ句、警察に撃たれ、投獄されました。刑期は13年続き、そのうち本を読むことも許されなかった7年のうちに、独房で発狂しそうになったと後年ムヒカは振り返っています。

”私は、なにもない中で生き残りました。それで人生において限度を知り、どんな小さなことにもありがたみを持つようになったのです。”

壮絶な体験ののち、民主化の道を歩み始めたウルグアイで彼は釈放されました。

南米の緑の風景


ムヒカのおおらかさ

ホセ・ムヒカは大統領になってから、武力闘争の過ち、監獄の経験などを振り返り、「寛大な精神」を学んだという趣旨のスピーチをしています。それは古来の社会から、歴史上あったものだとも述べています。

ムヒカ大統領の写真も映像も、どこかにおおらかさがあります。

そして、こんな冗談めいた言葉も使ってインタビューに答えています。

“私の人生は恵まれています。
社会主義者として闘い、考えたこともなかった、大統領というアルバイトをさせていただいている。
我々の世代は世界を変えようとした。格差をなくすために闘い、潰され、砕かれた。
でも、私は、まだ夢を見ています。”

失敗と孤独を味わい、それでも前へ進んだ、おおらかで朗らかなムヒカ大統領のエシカルです。

参考:『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀訳、双葉社、2015

文/写真:木村洋平


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