「サステナビリティ」の本質とはなんでしょうか? それは「考える」こと。サステナビリティの現状と根幹を見つめてみましょう。
「サステナビリティ」「サステナブルな社会」「持続可能な地域コミュニティ」「事業の持続可能性」etc…こういう言葉がよく聞かれるようになりました。さまざまな場面で、「サステナビリティを追求しましょう」と言われます。
でも、あまりにあちこちの方向から「サステナビリティを!」と言われると、かえってなにをしてよいか戸惑い、困ってしまうひとも多いのではないでしょうか。
それは事業のリーダーや担当課もそうでしょうし、生活者としての私たち一人ひとりも同様です。
そんななか、「サステナビリティ、なにからはじめたらよいの?」という問いに対して、さまざまなハウツーに似た回答が寄せられます。ここでは事業について考えますが、
「店舗で使うプラスチック製品を、紙や竹や生分解性プラスチック製に変えてみたらどうでしょう?」
「社内のゴミ箱を撤去するのはいかがですか」
「IRを考えて、財務情報だけでなく、非財務情報も開示するサステナビリティ報告書を毎年、作成するようにしましょう」
「南米の森林火災に寄付金を募っては……」
アイデアはいろいろあるようです。いわゆる「〇〇の取り組み」をしよう、という案です。
弊社では、サステナビリティの一環として「〇〇の取り組み」をしています、とよく聞かれます。
では、どこから始めるのがよいでしょう? 予算のかからないものからでしょうか。それとも、CSR担当課やサステナビリティ推進課の予算を消化した方がよいでしょうか。
一息入れて、考えてみましょう。
なんのために、サステナビリティをするのでしたか。サステナビリティの本質とは、なんでしょうか?
──筆者は、サステナビリティの本質とは「考える」ことだと思います。
その際、「なんのために、サステナビリティをするのか?」も考えます。
そもそも、事業を存続させたいのでしょうか。たしかに、事業の持続可能性(=サステナビリティ)を考えていたにちがいありません。ですが、その事業をぐっと縮小させたり、撤退した方が大局的にはよい場合もあるでしょう。
また、なんのための事業なのでしょうか。
あるいは、その事業にはパーパス(目的)やヴィジョン(目指すところ)が明確にあるとします。
では、その時、事業をどう続ければ、1年間いい形で回せるでしょうか。予算も含めてです。いえ、1年間でよいでしょうか。2年間は赤字でも回してみる、という判断を取るべきですか。
本当にその事業の成果を必要としているひとは誰なのでしょうか。
その誰か、つまり顧客のことを考えると同時に、取引先のことも考えてみましょう。また、じかの取引先担当者だけでなく、孫請構造の、その先で働いているひとは幸せでしょうか。手伝ってくれているチームに、先月、抜けてしまったひとがいたのはなぜでしょうか。
こうして、サステナビリティを考えていくと、それは自然と「エシカル」にも行き着きます。エシカル、つまり倫理的であり、よりよく生きようとする姿勢です。
当たり前ですが、事業にかかわるひとたちが、「もううんざりだ」「自分は不幸だ」「安全が脅かされている」と思っている状況でよいプロダクトやサービスが生まれるとは思えません。逆に、誇りが持てれば、彼ら、彼女らともっとよい仕事ができるでしょう。
これはまさに「エシカル」が問われる状況です。
このように、「考える」ということが、サステナビリティの本質です。
もちろん、カーネギーの『人を動かす』は良い本です。筆者も啓発されました。『リーン・スタートアップ』も起業家なら必ず知っているほど有名な本です。「リーン」という言葉を出せるか出せないかでは、会話のスピードが変わります。
すぐれたコンサルタントがついてくれれば、助かります。最新のニュースをチェックすることも欠かせません。
しかし、最後は自分の頭で考えるのです。ある意味では、たった独りになって考えます。ほかの誰かが考えることをやめても、私は考え続けるのです。
カーネギーの言っていることとはちがうし、『7つの習慣』からは外れるし、けっして「リーン」でもなく、周りからは「あなた、それ失敗しますよ」と言われても、本当にそれを試みるか、考え抜きます。
それだけが、本当のサステナビリティを生むでしょう。
フランスの哲学者、パスカルの言葉として「人間は考える葦(あし)である」はよく知られています。「人間は植物の葦のように、細く弱々しい存在だけれども、考えることができる。そのことによって宇宙のなかで特別な存在なのだ」といった意味に解釈されます。
パスカルは「考える」ということが、人間にとってとても重要で、偉大なことだと書きました。それを日本の思想家、亀井勝一郎は引用しながら、「考えるとは、愛することだ」とも書いています。
考えるというのは、冷たい知性で演算することとはちがいます。人間の営みなのだ、ということでしょう。
さて、話が大きくなりました。
それで結局、なにから始めたらよいのでしょう?
──たとえば、明日、郵送する書類に「いつもありがとうございます」と書いた一筆箋を添えてみるのはどうでしょうか。
文/写真:木村洋平
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