「サステナブル」や「サステナビリティ」(持続可能性)といった言葉は比較的、新しい言葉です。その源はどこにあるのでしょう? 試みに、古代インドの神話まで遡りました。
「サステナビリティ」の起源
「エシカル」と兄弟姉妹である「サステナビリティ」(持続可能性)、「サステナブル」という言葉。始まりはどこまで遡れるでしょうか?
一説には、ドイツの森林学者カルロヴィッツが1713年に刊行した著作で、“Nachhaltigkeit”(ナッハハルティヒカイト)という言葉を使ったのが、現在のサステナビリティの起源と言われます。
これは「森林を持続可能に使うこと」という概念であり、現在のドイツ語でも林業の用語として用いられています。
その後、20世紀に入って「環境問題、人口増加、経済成長の限界、未来世代のニーズ」といったテーマに基づき、1970,80年代に「サステナビリティ」の概念が形成されていきました。
世界最古のサステナビリティは「世界の維持」
さて、以上は一般的な理解ですが、今回は「世界最古のサステナビリティ」の探求として、古代インドの叙事詩『バガヴァッド・ギーター』を読むことを試みます。
『バガヴァッド・ギーター』は、いまもインドで愛される古典であり、「神の歌」という意味です。ここに「世界の維持」という考え方が出てきます。
インドの最高神の一人であるヴィシュヌが語ります。
「もし私が行為をしなければ、全世界は滅亡するであろう。私は混乱を引き起こし、これらの生類を滅ぼすであろう。
愚者が行為に執着して行為するように、賢者は執着することなく、世界の維持のみを求めて行為すべきである。」
ここでヴィシュヌは神として「世界の維持」を司っている、と言っています。さらに、「賢者」とされる人々も自分のことに執着せず、「世界の維持のみを求めて行為すべきである」と説いています。
これはまるで、現代でいえば「自分の損得ばかり考えないで、世界のサステナビリティを考えましょう」と説いているかのようです。
常に「節度」をもつこと
もう一箇所、引用してみましょう。ヴィシュヌは、先の「賢者」になる方法として「ヨーガ」を勧めます。(現代の「ヨガ」のおおもとです)。
「節度をもって食べ、散策し、行為において節度をもって行動し、節度をもって睡眠し、目覚めている者に、苦を滅するヨーガが可能である。」
これはサステナビリティの根幹である「バランスを取ること」を個人の生活において示しているかのようです。現在のサステナビリティ概念のルーツには「環境・経済・社会のトリプルボトムライン」という考え方がありますが、これも「節度」とバランスの問題です。
ヴィシュヌはこの「節度」を守ることにより、「心が制御され」て、ひとは幸福を得る、と説いてこう結びます。
「このヨーガを、ひるむことなく決然と修めよ。」
勇気をもってサステナビリティに向かって行動しよう、というわけです。
ちなみに、「サステナビリティ」がそもそも何か、ということについては以下の記事にまとめていますので、ぜひご一読ください。
まとめ
バガヴァッド・ギーターは、詩でもあり、神話でもあります。ですから、解釈は一通りではなく、上のような読み方は一つの考え方にすぎません。
しかし、愛読書である『バガヴァッド・ギーター』を何度も読み返していると、こう語られる箇所は、思想という点で、現代のサステナビリティを告げていると筆者には強く感じられます。
それは「予言」という意味ではなく、人間にとって本源的に大切なことは数千年前から変わらない、ということではないでしょうか。
余談ですが、「世界の維持」が現在の「サステナビリティ」だとしたら、「ヨーガ」は「エシカル」かもしれない、と思いました。
文:木村洋平
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳, 岩波文庫, 1992