着床前遺伝子診断で胚を選ぶことについて、考えてみませんか?

着床前遺伝子診断は、不妊治療に関わる検査の1つです。「体外受精」で得られた胚を妊娠前に検査することにより、妊娠しやすい胚を選んだり、遺伝病を持たない胚を選んだりすることができます。しかし、この胚の検査は「生命の選択」として倫理的な課題をふくんでいます。


親が、生まれてくる子をある程度「選べる」としたら、どうでしょう。そこには倫理的な課題も出てきます。この記事では着床前遺伝子診断について説明し、倫理的に(エシカルに)考えてみます。


着床前遺伝子診断とは

「着床前遺伝子診断」(ちゃくしょうまえいでんししんだん)は「体外受精」(たいがいじゅせい)で得られた胚を、母体(女性の子宮)に戻す前におこなわれる診断です。日本では、染色体を検査して妊娠しやすい胚を選んだり、遺伝子を検査して、子どもが重い病気を持って生まれる可能性があるかないかなどを調べます。着床前遺伝子診断を受けるためには条件があり、日本では子どもを望むカップルのなかで、条件を満たした一部の方々におこなわれています。


日本では10人に1人が体外受精で産まれている

はじめに、体外受精について紹介します。体外受精は、男性から精子を、女性からは卵を採取(さいしゅ)し、お皿の中(培養液)で受精させる方法です。不妊治療のひとつであり、有力なやり方です。

今、少子高齢化が進む日本では、子どもを望む多くのカップルが不妊治療を受けています。その中でも体外受精は最も妊娠率が高い治療法であることから、不妊治療の切り札になっています。実際、2022年に体外受精を経て産まれた子どもは7万7206人であり、総出生数 約77万人に対して約10人に1人という計算になります。

体外受精ではお母さんの卵巣から取ってきた卵と、お父さんの精子をお皿の中(培養液)で受精させます。ちなみに卵に関しては、薬剤を使って複数(10個など)同時に成長・成熟させます。それらが受精したら、そのまま5日間ほど培養を続け、胚盤胞と呼ばれる段階まで育ったら、再びお母さんの子宮に移植します。胚盤胞は凍結することができるため、長期に保存でき、違う時期に移植したり、2人目の子どもを作る際に使用することができます。

体外受精は1970年代に人で最初に成功しましたが、長い間、偏見がつきまといました。自然な妊娠に比べて、病気や障がいなどマイナスのことが起こりやすいのではないか、という疑いがあったからです。多くの事例の研究の結果、そうではないというはっきりした結論が出ています。


着床前遺伝子診断:胚の遺伝子を調べる

着床前遺伝子診断は、この体外受精で得られた胚に対しておこなわれる検査です。

2000年代の遺伝子解析技術の発展と共に、体外受精で得られた胚の遺伝子を調べる技術が急速に進歩してきました。胚の一部を切り取ってDNAを調べることで、移植後に産まれてくる子どもの遺伝子を予測することができます。これが着床前遺伝子診断と呼ばれる検査です。

着床前遺伝子診断を使うと、妊娠しやすい胚を選べます。そのため、不妊治療がなかなか上手くいかない方々に対する検査として、急速に普及しました。お母さんの年齢が高くなると、胚を移植しても妊娠しなかったり、妊娠しても途中で流産してしまうことが増えてきます。その理由の多くが胚の遺伝子の異常(特に染色体数異常)であるため、着床前遺伝子診断により染色体数異常のない胚を移植できれば、移植あたりの妊娠率が上昇します。最近では胚を切り取らずに、胚から放出されるDNAを調べる検査も登場してきています。

赤ちゃんを抱く黒髪のお父さんとお母さん


胚が持つ遺伝病も調べられる

着床前遺伝子診断はさらに、胚が持つ遺伝病も検査することができます。遺伝病にはさまざまな種類がありますが、なかには産まれてすぐに亡くなってしまう重篤(じゅうとく)な遺伝病や、現時点では治療法がない遺伝病も存在します。日本では、そのような遺伝病を持ったお子さんが産まれる可能性が高いと事前に分かっているカップルにかぎって、日本産婦人科学会の審査基準にもとづいて着床前遺伝子診断による検査を実施しています。

日本での着床前遺伝子診断は、お母さんとお父さんが妊娠前に重篤な遺伝病の原因となる遺伝子を持っていることがわかっている場合にだけ受けられます。そして、遺伝病を持っていない胚を選ぶことが許されています。


倫理的な課題:生命の選択

一方で、着床前遺伝子診断は強力な検査法であるがゆえに、倫理的な課題もふくんでいます。複数の胚から移植する1つを選ぶことは「生命の選択」につながるという批判があります。ひとくちに遺伝病と言っても、その症状や重篤(じゅうとく)性はさまざまです。

医学の進歩によって、これまでは治療が不可能と思われていた遺伝病に治療法が見つかるケースも登場しています。過度な着床前遺伝子診断によって、本来は産まれるチャンスがあった胚を除外しているかもしれません。将来的にさらに診断性能が上がり、すぐれた能力や健康を持つ胚、または持っているだろう胚を選択できるようになれば、「優秀」な人だけを生きさせようとする「優生学」(ゆうせいがく)の考え方にもつながります。

ほかに、着床前遺伝子診断が対象とする遺伝病の診断において、民間団体である日本産婦人科学会が定めた基準で、診断する病気を決めることにも倫理的課題があるという意見もあります。つまり、国のレベルでどの病気を診断してよいかを決定すべきではないかという意見があります。また、カップル自身の意思をより尊重すべきとする考えもあります。

このような状況下で、遺伝子解析に関わる技術はいま急速に進歩しており、海外では数十〜数百の病気に関わる遺伝子を同時に調べる技術もすでに登場しています。日本に住んでいるカップルにとって、体外受精は国外でも実施が可能であるため、日本ではできない種類の着床前遺伝子診断をおこなうために海外に渡航するカップルも増えてきています。

今後、技術が進めば、体力や見た目などの特徴、重篤ではない病気に関わる数千の遺伝子をも同時に調べられる着床前遺伝子診断が登場する未来もありえます。


まとめ

着床前遺伝子診断には、このような倫理的な課題がついて回ります。これらの問いに1つの答えを出すことは容易ではありません。だからこそ、社会の中で着床前遺伝子診断をめぐるさまざまな課題をよく知り、議論していくことが重要です。

筆者は日々の研究や診療において、さまざまな遺伝子解析に取り組んでいます。特に、さまざまな悩みを抱えながら不妊治療を行なっている多くのカップルの声に触れ、このテーマが非常に重要であると感じています。

これからも、みなさんといっしょに考えていければ幸いです。


文:株式会社ゲノムクリニック 代表 曽根原弘樹